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今日は誰と寝て、感染しようか。

先日、横浜方面へ向かったら、明治神宮前駅のホームでバッタリと坂爪さんと出会うという奇跡が起こり、慌てすぎて有線イヤホンとマスクとリュックが絡み合って大変なことになった。お知り合いと偶然出会うというシチュエーションに憧れていたのでテンションが爆裂に上がった。

私は誘われたいのである。何を急に。そういつも突然に。人生には幸運が七度訪れると言います。もうすべて消化してしまったのではないかという不安に襲われるけれど、まだ残機はあるのだと信じて生きている。

幸運の女神には前髪しかない。そう、信じるということはチャンスはやって来たそのときにつかまなくてはいかないということ。今、三森はお誘いに対して敏感になっておりますゆえ、小心者になりますが、何かあったらばご連絡をいただけると嬉しい状態に陥っております。

全員と仲良くなることは無理でも、誰かと仲良くなることならできる。

虚空の蝶よ、世界は美しいのか。

宣伝が大の苦手なのですが、ぜひ、『虚空の蝶』という曲を聞いてみてください。ゆーほくんの編曲&歌唱バージョン、作曲五十嵐千尋、作詞拙者となっております。沖縄では蝶は死の世界からの使者なのだという。なぜ急に楽曲紹介。そうすべてはいつも突然に。横浜滞在ではタバコ仲間もでき、楽しい時間を過ごすことができました。同時に再び作詞するという機会に恵まれることにもなりました。

私の欠点は、すぐに真面目になってしまうことであり、少しプレッシャーがかかるだけで抜け毛のようにユーモアが抜け落ち、気付いたら仏頂面のつるっぱげになっています。散歩中やシャワー中にアイデアが浮かぶように、適度にリラックスしていないといいものは書けないし、矛盾するようだけど別にいいものを書こうとしなくてもいいのだと思う。

主目的は楽しむこと。真剣であることと真面目であることは違う。誰かの期待に応えようとして深刻になっては本末転倒。目の前にあることをただ真剣に楽しめばいいのだ。悩みすぎて身動きが取れなくなったら、一回、動き出してから、何事も考えてみればいいのだと思う。ちなみに、ある方自家製のお味噌が半年後に届く予定があるので、それまで僕は死にましぇん!

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今日は誰と寝て、感染しようか。

終わると見せかけてまだ続くのですが、通帳残高がゼロになったという経験をつい先日したという方から、「幾ばくかささやかではありますが、あったかいご飯の足しにでもして頂ければと思います」とお振り込み(!)をして頂きました。お金がなかった日々を過ごしていたのにもかかわらずです。

最初はこれで美味しいものが食べられる!なんて思いもしたのですが、直後に目先のピザや唐揚げに目を奪われてはいけない、良いお金の入り方をしたのなら、良いお金の出口を用意すべきだと、しばらく掛かっていきそうな活動費のほうに充てたいと改心いたしました。

嬉しいことが起こると、更に「生きねば」と思います。自分を卑下するのはもう十分。自分に対して優しくしてくれた方々に失礼になります。堂々と胸を張って生きていこうじゃないか。この思いこそがこれからの自分にとってのチャンスじゃないか。日常に対しつまらないなとか言っている場合じゃない。つまらない自分にならないよう踏ん張るのだよ。

嫉妬ばかりで拗ねている自分ももう十分。自分がなりたいと思った像があるのなら、同じことを真似ればいいのだと思う。嫉妬の対象はいつだって、自分もそうなりたいという憧れの表れに過ぎない。なりたいがあるというのは素晴らしいことじゃないか。ならば、なろうとすればいいじゃないか。

批判より真似ることだ。「名声は、人が自分の思想といっしょに寝たがゆえに感染する病気の一種だ」と詩人ポール・ヴァレリーは言う。感染しない人生なんてない。人生は完成もしない。完璧も完全もない。残されているのは誰と感染し合うかだけだ。今日は誰と寝るかということだけだ。恐れのない人生とは、感染を恐れない人生である。愛するということは感染することを受け入れることだ。

ものを作るということもまた感染するということだ。オリジナルなんてものは存在しない。すべてはものとものの差異から生まれてくるのだと思う。無から有を作り出すのは孤独な作業になるが、本当にやっているのは生み出すということではなく、オリジナルだと思われているものから抽出したエッセンスの組み直しだ。ものを作るというのは、誰かと誰かの唾液が交差するということだ。交差点から生まれるものがある。

いつも思う。目の前にあるものはどうやって運ばれてきたのだろうかと。刺し身であれば、どのようなルートを辿って、今この食卓に並んでいるのだろうかと。大変な苦労によるものであることは間違いない。人は知らず知らずのうちに並々ならぬ努力の結晶の果実を食べている。

社会が豊かになればなるほど、便利になると思っていた。だが、便利がゆえにありがたみが薄れていき、何もかもがあって当たり前のことのように思えてくる。今、住んでいる家は誰かが建てた。家を構成する材料は誰かが運んできた。与えられてきた果実によって、今、この心と体がある。リンゴは決して私は凄いと主張はしない。自然に熟し、自然に還る。

感謝は大事。だが、ありがとうだけが感謝ではない。果実を食べることによって新しい果実を生むこともまた世界に対する感謝なのである。今日、あなたは誰と寝るのだろうか。誰と寝ることを選ぶのだろうか。私は誰と寝るのか。そして、誰との子供を生み落とすのだろうか。あなたは今日、誰の隣でどんな夢を見るのだろうか。不可抗力である感染と、選ぶという意識の狭間で見る夢はきっと悪夢であっても美しいものに違いない。

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今日の夢でお茶しない?

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苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。