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頑張るために頑張るな
自分の言動が人を苦しめているということに鈍感だ。この頃、あまり調子が良くなく、終始イライラしてばかりいた。
機嫌のコントロールが難しく、何をしたら気持ちが楽になるのか見出せないまま荒れた。
こういう時、言い訳の常套句がある。育った環境のせいだ、と言う。それで一瞬は問題を誤魔化せるかもしれないが、その効果は長続きはしない。
なにせ死ぬまで一緒にいるのは自分自身で、逃げても逃げても同じ問題を抱えて追ってくるのだ。
荒れているのは環境のせいなんだよ、と言われても、言われた側からしたら、頷いて、そうだね、と言ってあげること以上のことはできない。
それで、「わかってもらえた」とは思わない。なんて情けないんだ、自分はいつも言い訳ばかりだといっそう自分を責め始める。
不調のときは、何かを誤魔化しているのではなく、頑張りすぎていることのほうが多いと思った。
例えば、人との比較をしていたりする。俺ももっとやらなきゃ、と思う。頑張るために頑張ってしまう。
勇気を出すとか、そういうことまで否定したいのではない。無理がたたると、周囲を巻き込んで自爆してしまう恐れがある。
やりたくもないことをやっていないか。やりたいことのための過程のやらなきゃはやりたいの延長にあるけれども、そもそもでやりたくもないことに意識が持っていかれてはいないか。
ゆっくり紐解いてみる。変に力が入っているところが見つかるかもしれない。シンプルに喜びのないことをやっていないか。
焦って、将来のことばかりにとらわれて、嘆き、憂いていないか。
人生は今の連続だ。今、幸福がないのであれば、今後もない。
こんなことしてる場合じゃない。そんなことを思うとき、では何に気をとられているのか真面目に考えてみる。
本当に大切にしたいものを貶して、どうでもいい幻想を崇拝していないか。
気分が悪くなることを進んでやっていないか。
不信感にとらわれて、信頼を見逃していないか。
空虚な物質に執着していないか。
笑顔が消えて、怖い顔をしていないか。
好きなものを嫌っていないか。
嫌っているものを好いているふりをしていないか。
遠ざけているものが本当は大切で、近づけているものが不幸の種になっていないか。
イライラ、イライラ。心が大事だと言っているものを頭で否定しているときは不機嫌になる。
ところで、久しぶりにカフェでコーヒーを飲んでいる。たまにはこういう時間もいいなと思った。
俺はね、思うんだ。「あなたは大切な人だよ」と言うことが大事なんじゃないのかと。
相手の許しや、素直さを待つのではなく、自分の気持ちに折り合いをつけ、こちらから許す。素直になる。言われることを待つのではなく、先に言うこと。
見切りをつけて終わりにするよりも前に、ストレートに愛をぶつけてから散る。そっちのほうがずっと清々しい。だめだったらだめで、それでいいじゃないか。
傷つくことより、傷つけることより、許せなくなるほうがずっと怖い。憎悪にすべて持っていかれてしまう。
だめな自分だと嘆いてしまうこともある。だって人間だもの。そういう時もあるよ。でも、やっぱりだめじゃないんだ。だってまだ許すことができるのだから。この許すという力だけは誰にも奪うことはできないのだから。
許せなくても、許さなくてもいい。けれど、(自分を、人を)許すことができる、素直に思いを伝えることができる、そんな自分であることは忘れたくないよね。すべてが憎いなんてこと、あり得ないよ。現に必ず、生きていれば、好きなことが見つかるのだから。それは頑張らなくても愛してしまうものだよ。
苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。