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モンベルの決断から学ぶ

モンベル成功の道のりにあった大きな決断は


①問屋さんに卸すのをやめて直営店を展開したこと

BtoBからBtoCへの転換

日本の商習慣では、製造卸し、販売の三層構造で動いており、

当時かなりの反発があり、目先売上が落ちてでも、

そこから抜け出るリスクをとった


②パタゴニアの販売代理店契約の解消と切り離したこと

パタゴニア製品を日本で売る

契約を結んだことで、モンベル全体売上の4分の1を占めるようになった 

パタゴニアの契約解消をして、切り離しモンベルブランドを育てるために決断した


モンベルが寝袋を開発してまもなくの頃

売れ残りの在庫に悩んでいた

海外に販路を広げようと、ニュージーランドへ飛んだ

現地で多くの店をあたったが、当時ニュージーランドは関税が高く

輸入規制が厳しく、あえなく敗退した


アメリカへの販路では専門店を始めたが売れずに6年で敗退した

アメリカでは同業者にモンベルの特許を侵害され裁判にかけた、

裁判には勝ったものの、裁判費用が1億円かかって、手にした

損害賠償金は1200万円は割に合わなかった

その後、特許のライセンス契約を買いたいと申し出る業者が

でて、ライセンス料で元をとる事ができた

こういうのをなんて言うんだっけ、身から出た錆ではない

棚からぼた餅?いや違う 想定外の運ってあるんだなぁと思う

700億円の道のりには、多くのトライアンドエラーがあった


優れた商品を生み出すには、高いニーズを持つ、ユーザーの厳しい目が

不可欠だ そんな環境がメーカーを育て、より良い商品を生み出す


現状にそこそこ満足している人だけを相手にしていたら、ぬるい環境となって

更新が遅れ、競争の現実から身を引くことになる


モンベル辰野氏はある時、納入した商品が店頭では良く売れているようだったが

なかなか、追加注文がもらえなかった

いつまで経っても納入先の担当者から連絡が来ない

そのうち、全く同じ品型の商品だが、明らかにモンベルの作ったものとは

違う商品が店頭に並ぶようになった

不審に思い、メーカーの担当者に連絡をした

すると、彼は悪びれることなく、こう言った

君のところはコストがかかり過ぎる、もう少し安く作っってくれるところに

お願いした

我々の考えた企画を、断りもせずに他の工場に作らせるのはおかしいでしょ


その抗議は受け入れられなかった 所詮下請けの立場の弱さである

納得はできなかったが、引き下がるしかなかった

心に誓ったのは、金輪際、下請けの仕事はしない

何事において、自分達に決定権がない、契約を打ち切られても文句も言えない

確かに下請けの仕事は金銭的リスクもなく、目先の売上を作ることはできる

しかし、将来の保証はどこにもない

今日の1000万の売り上げよりも、明日につながる100万円の仕事を作ろう

この出来事以降、この考えが辰野の仕事を選ぶ判断基準となった

そして、モンベルブランドを確立することこそ、我々が進むべき道であると

確信するようになった


スノーピークも、モンベルの背中をみて、パタゴニアを参考にして

ノースフェイスが前を走っていたから、大っきくなっていったんだなぁ

たぶん。