ドルトレヒト全国教会会議400年①
今年は、1618-19年にかけて開催されたドルトレヒト教会会議の400周年を記念する年となっている。
この会議でどんなことがあったかというと、オランダの神学者で、ライデン大学で神学を講じていたヤコーブス・アルミニウス(1558-1609)の後継者たち(いわゆるレモンストラント派)が、異端とされて、多くのレモンストラント派の牧師たちが国外追放になったという出来事。
なぜアルミニウスの後継者たちがレモンストラント派と呼ばれているかというと、その名の通り「建白書/抗議書(レモンストランシ)」を出したから。その建白書に何が書いてあるかといえば、自分たちの神学的立場の擁護である。
レモンストラント派の論争相手は、カルヴァン派の神学を厳格に重んじる人たち。桜田美津夫著『物語 オランダの歴史』ではレモンストラント派を「穏健派」、カルヴァン派を「厳格派」としているので、以後はこの二つで双方を表す。(ちなみにこの本で指摘されていることは、穏健派と厳格派の間には、中間派が多くいた、ということである。)
「厳格派」は、文字通り、カルヴァン主義の神学を「厳格」に守る人たちである。当時のカルヴァン主義の顔といえば、フランシスコ・ゴマルス(オランダ語に忠実になると、GがHとなり、ホマルス、となるようである。したがって前の記事で登場したグローティウスも本によってはフローチウス等と表記される)。ゴマルスもライデン大学の神学教授であった。いわば、アルミニウスの同僚である。同僚ではあったが、ゴマルスとアルミニウスは予定論などを巡って対立することになる。
「穏健派」は、その厳格なカルヴァン主義の神学に対して、いくつかの重要な点(特に予定論)で異なる神学を持つ者たちであった。
ドルトレヒト教会会議を経て、カルヴァン主義の神学を簡便に示すものとして、英語圏ではTULIPという略称が用いられるようになった。
Total Depravity(全的堕落)
Unconditional Election(無条件の選び)
Limited Atonement (限定贖罪)
Irresistible Grace (不可抗の恩寵/恵み)
Perseverance of Saints(聖徒の堅忍)
これらの頭文字をとると、TULIPとなる。語弊があるのを承知で、簡単に言うと、穏健派と厳格派の論争は、これらの5項目に集中したということである。
さて、ドルトレヒト会議に先立って穏健派と厳格派からそれぞれの立場を説明した文書が提出される。穏健派の提出したものが前述したように「建白書/抗議書」(1610)であるわけだが、それに対して提出されたものが、厳格派の筆による「反レモンストラント五条項」(1611)である。その第一条にはこう書かれている。
アダムにあって全人類は、神に似せて創造され、アダムと共に罪に陥り、堕落し、その結果すべての人は罪のうちに胎に宿り、出生し、また、生まれながらの怒りの子となり、自らの罪のうちに死んだ状態になっており、そのために、死人が自分自身を死から甦らす力がないのと同様に、神に向かって真実に回心し、キリストを信じる能力を自分自身のうちにはまったくもっていない。したがって、神は、ご自身の永遠にして不変のご計画においてご自分の御旨のよしとされるところに従い、ただ恵みからだけ、キリストによって救うために選ばれたある定まった数の人々を、滅びから引き出し、救い出されるが、他の人々はご自分の義(ただ)しい裁きによって見過ごし、罪のうちに遺棄されるのである。(太字筆者)
さらに、第三条を見るとこうある。
神は、選びにおいて、選ばれた者たちの信仰や回心、あるいは彼らの賜物の正しい使用を選びの原因として見られたわけではない。(太字筆者)
さて、この反レモンストラント条項の一条と三条が示しているのは、TULIPでいえば、全的堕落と無条件の選び、といえるだろう。
出された順番が前後するが、レモンストラント条項の第一条は、こう記されている。
神は、永遠にして不変の聖定によって、世の基いが置かれる前に、御子イエス・キリストにおいて、堕落して罪深い人間の中から、聖霊の恵みによって御子イエスを信じ、この信仰と信仰の従順のうちに最後まで堅忍するであろう者たちをキリストにあって、キリストのゆえに、キリストをとおして救うことを、そして他方では、悔い改めず信じない者たちを罪の中に、また神の怒りのもとに委ねて遺し、そしてキリストにかかわりのない者として断罪することを、定められたのである。
カルヴァン主義においては、イエス・キリストの十字架の血潮によって与えられる救いは、神によって選ばれた者たちのためのもの、である。神が一方的に救おうと願うものを予定されるのである。予定されているものは、救いにあずかる。さらには、選ばれていない者は、滅びへと遺棄される。
ホマルスは、「堕落前予定論」者であった。どういうことかというと、世界が創造される前、人が形作られるより前に、すでに神は救うものを選ばれていたということになる。(カルヴァン主義の中でも、「堕落後予定論」というものもある。)
レモンストラント派においては、イエス・キリストの十字架の血潮によって与えられる救いは、聖霊によって注がれる恵みによって、キリストを信じる(選択をした)者たちのためのもの、である。人間の意思、というものがファクターとして入るのである。ただし、信じる意思は、聖霊によって注がれる恵みによって回復された故に与えられたものである。
恵みと関係なしに、信じる力が残っている、と言ってしまう時にそれはペラギウス主義という異端の神学となるのである。アルミニウスたちも「ペラギウス主義者」といういわれなきそしりを受けている。その評価は正確ではない。
恵みによって信じるものが救われるように神は定められた、というのがレモンストラント派の言い分なのであるが、レモンストラント派は同時に、この神からの恵みは、拒否できるとも考える。方や、カルヴァン派は、神の恵みは拒絶できない、と考えている。今日はいったんここらへんで。続きはまた後日。
※ レモンストラント5条項、反レモンストラント条項の訳文は、牧田吉和師の『ドルトレヒト信仰基準研究』(一麦社、2012)から引用させていただいている。
手に入りやすい日本語資料
<書籍>
桜田美津夫『物語 オランダの歴史』(中央公論社、2017)
藤本満『歴史ー私たちは今どこに立つのか』(日本キリスト教団出版局、2017)
牧田吉和『ドルトレヒト信仰基準研究 歴史的背景と信仰基準とその神学的意義』(一麦出版社、2012)
<WEB>
金獅子亭「宗教論争からク―デターへ」
https://orange-white.blue/eighty_years_war/coup/
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