【メモ】仕事ができない人をどうすればよいか
※仕事ができない人についてどうすればよいか、という議論に職場で巻き込まれることが多く
なんとなくもやもやしていたことに対して発散する思考をnoteをメモ代わりに書きなぐったものになるので
限定的な状況を前提とした部分が含まれたりちぐはぐな部分があったりしますが
気が向いたり体裁を整えたくなったら諸々修正します。
仕事できない人が首を切られるところをたくさん見てきてパターンを学習したが、
成果/プロセス/心象の3点のどこにも興味がないか楽をするために合意を怠っているパターンがほとんどのような感じがしている
(群れて安心感を覚える集団タイプの無能は個人としての無能ではないので今回対象外)
基本的にこれらの人間は主観でのゴールラインと及第点を他人に押し付けることで本来の要求との間で摩擦を生み
それに耐えるためにバイアスを高めて心を守る動きが強まる悪循環に陥る
問題が発生した際は決まって「すみません」「〇〇が良くなかったです(基本的外れ)」のような形でとにかく謝罪と反省を見せるか
「うまくいくはずだった」「〇〇が悪い」みたいな言い訳が入るかのどちらか
その後はN1にすら至らない超具体の話を長々としたり
抜け漏れや穴だらけの認知の穴から気になったところを1~2個ふさいで「次は問題ない」と満足※してしまうので
完全に一致するわけではない類似のタスクに対応する際に"似たような"ミスやディスコミュニケーションを生み続ける
※稀に外聞を重んじて何かしているアピールの場合もあるが政治的な動きはいったん今回の話の対象外
また、大抵この類の人間は齟齬や失敗に際し
「ここまで考えたからいいでしょ」「ちゃんと考えた/やったのになんてなんて自分はダメなんだろう...」みたいな態度をとる
これは建設的な動きを阻害し心証を悪化させ主観と客観の溝をさらに深める働きがある
こうなったらもう「彼/彼女はなんか難しい人だ」「とことん使えないやつ」みたいな印象が固着して
腫物扱いのまま退職まで一直線になる(正社員として職にしがみつく覚悟がある人間の場合はそれでも長生きするケースもある)
主観で閉じて判断する理由は多種多様だが主なケースとしては下記がメインなものになっている所感
・発達的な要因で客観が弱い
→こだわりが強い
・具体化と抽象化のどちらかに極端な偏りがある
・加齢や成功体験によるバイアスの蓄積
・自己保存的な本能に由来するもの
ここまでをまとめると仕事できない人の共通点は
客観から逃げた先で自分を守るために一人エコーチェンバーで育て上げたバイアスに依存し
不快や不安を遠ざけ主観に閉じて自分の世界に入って楽をすることに集約されるので
そうなる理由は多種多様にしろ大抵解消が難しい
とても難しいがあえて改善方法を挙げるのであれば
①最良or最低限の成果&プロセスを合意のもとに定義する(し続ける)
100点を取るのはとにかく難しい、というよりむしろ不可能に近い
なぜなら基本仕事における正解はない(あるにはあるが個々人で定義が異なる)し
TPO等数多の変数によって変動し続けるからである
ただ、現状(タスク、プロジェクト、組織)においての確かな正解とは何か、最低限クリアすべきものは何か
現状のリソース(人、モノ、時間)をベースにした最適とは何か(何だったか)を
ひたすら積み上げることは可能で、気になるポイントに固執するのではなく
相手との認知的な齟齬を解消しながら最上/最低限をデザインしていくことはできる(普通のPDCA)
注意しなければいけないのはあくまで成果もプロセスも客観による評価がすべてということ
これは人と仕事をする上でうまくいかない人間の時点で主観にはかなり浅めの限界が存在しており
他人とかかわる業務をしているのであれば最低2人以上の主観が存在するため
なので、あくまで相互の理解をベースとした積み上げ、コミュニケーションがマストになってくる
このサイクルを経験していくことで主観が矯正されたり、個人間での信頼を得ることで
結果としてINPUTをもとに勘でデザインした諸々がようやく機能するようになってくる
(環境や状況、相手に依存はするのでそれでも過信や固執は禁物)
そのため、客観的にみた正しさ、正しい形(全体像)とは何かを常に問い続ける必要がある
②楽をしない
主観に基づいて進めるというのは評価が入るまでに自分の考えに否定が入らない、という面でみれば
本能や自我に対して抵抗やダメージが発生しないためとても楽で気持ちがいいものである。
また、判断や構造設計諸々を相手に全てを委ねるというのも
責任を負わずに(主観的に)相手の望み通りにした、というある種精神的な自己の正当性を得る麻薬である
これは客観的な評価や成果を引き換えにしても優先したくなる力がある
本能的な動きになるため何も考えないとここに行きつきやすい
なのでそれに逆らうという意味で楽をしないのが改善に必要なファクターである
楽についても主観的に苦しいから楽をしていない、みたいな形になると結果としてそんなに変われないので注意
とくにこだわりが強いケースでは「自分なりの苦しみ」にばかり執着してしまい本来の要求や本筋からそれてしまう
そのため例えば
・相手の要求、要望を1から10まで整理し合意する
・現状維持すべきかどうかを評価する
・常に今目の前にあるものに対し良くするために、正しい状態にするために必要なものは何かを考える
・理解できない(されない)状態を解消する
・コミュケーションの上で要約、図示は補助アイテムとなるので積極的に使ってみる
など
③成果/プロセス/心象のうち、成果はマストでプロセスと心象を命綱や保険とする
成果させだしておけばOKなケースは多いが、
プロセスだけしっかりしている状態や心象だけで許され続けるというケースはほぼ存在しない
ミスをカバーする保険や、成果を出すうえでさらにプラスの要素になりうるものとして
プロセスと心象に配慮するとよりよい
みたいに仕事ができない人がどうすればより良くなるかを考えていたが、
単なる苦行や人格否定であり強制するのも難しいうえ
本能に即した行動というのはそれなりに合理的でもあるので
こんなことを勧めても大抵徒労に終わるのが関の山になりそうな気がしている
まあ、彼らのおかげで相対評価による恩恵が発生するうえ
こういった人間は大抵何かしらの問題を起こして勝手に消えていくので
黙っていても首を切られるような人間には何もしないのが個人としてはコスパの良い動きになると思った
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