夢の日記25

  あん〇〇のライブに友達と行く。あ〇〇タについて私は何もしらないのだが、現地で初対面のあ〇ス〇のファンの人たちにサイリウムさばきやコールなどについて教えてもらい、私たちグループとファングループは仲良くなり、帰りは私たちの借りてるレンタカー(どうやら誰も知らんユニットのライブのために泊まりで神奈川県にきていたもよう)で同乗して帰ることに。
  旅費を精算しようと友達が言う。お菓子代とかガソリン代とか。お金を出した人は車内に積もってる雪(なぜかワゴン車の車内に雪が積もってる)で雪玉を作っておいてください、と言われ、皆でもくもくと雪合戦の雪玉を作る。雪は不思議と冷たくなかった。
  しかし帰り道は道幅が狭く、ドライバーの友達が車を2階も壁とかにぶつけてしまう。なので地元(神奈川県の江の島のあたり)民である〇〇スタのお姉さんが運転をかわってくれる。お姉さんの運転は巧みで、もはやサイドミラーをたたまないと通れない物理的限界みたいな狭い道をするすると進んでいく。すごい。
  と、そこで急に場面が切り替わる。私は限界道狭住宅街の川縁の、木造住宅の玄関にいる。家はとても古く、内壁は木肌がそのまま見えてるタイプ。玄関あけてすぐにのぼり階段があり、左側に一階のリビング(和室)があるという構造で、人ひとり通るのが精一杯の横に細い入り口だ。私は棺を抱えている。二人がかりで運んでいる、後ろ側だ。前を見ると階段をのぼっている人たちがもうひとつ棺を運んでいるのが見える。
  私が運んでる棺はあ〇〇〇ファンのお姉さん、名はH村さんのものらしい。急に場面が切り替わったが、H村さんは何らかの原因で急死してしまい、ここは江の島近くのH村さんのおうちで、私たちは実家に棺を運んでいたらしい。
  じゃあ前のもう1つの棺は?誰のものなのかわからない。ただ話によると「最初は遺体はひとつだったのに運んでる途中でH村さんが死んでしまったからふたつになった」「H村さんの方はまだ焼いてない」とのことらしい。一個目の棺は2階に運び、H村さんの棺は1階に。棺には写真が張り付けてあって、H村さんがさっきワゴン車の中で座っていたポーズで写っていた。生前のものなのか死後のものかはわからない。このポーズで棺に入ってるから、ということらしい。
  H村さんのお母さんというおばあちゃんが、娘が死んだのにニコニコしてて「私は何もできないからねぇ、あんたら頼むよ」と言っている。私たちは「できるだけのことはやらせていただきます」とご挨拶する。
  焼き場どうするなどの相談をしていると、H村さんのお母さんが四角い座布団の上に、色とりどりのきれいなあめ玉をばらまいた。「雨が降って洪水になるから弔問客は来ない」という。本当か?と思って窓を開けるとドン!!!という音がして、すでに道路1mほど冠水。逃げなきゃだけど外にはもう逃げられないので「上!」と叫んで階段を上がる が 一人しかついてこない。
  古い建物なので2階にあがると基礎ごと流されて傾く。もう葬式どころじゃない。家が壊れたので窓のところから外に出て、家の破片に捕まって浮く。濁った水の中を棺や「株マルベツ」というなぞ会社の看板(青地に白文字)が流されていく。隣では友達がばた足してるので、家の破片に捕まらせて「顔を水につけないで!体力温存!」と叫ぶ。
  そうしてる間にあっという間に東京の私の実家まで流されてきて、実家の方は水位が低く庭の木に捕まる。根っこがしっかりしてるからここなら大丈夫、と話していると、濁水の中に色んなものが浮かんだり沈んだりしている。逃げてきた錦鯉、他の家の破片、駅前のインドカレー屋さんのインド人。見ないふりしてただけで、濁水の中ではたくさんの人が死んでいた。

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