すごい…鳥です…(君たちはどう●きるかネタバレ感想)

 巷で人気のぱやお原液、君たちはどう●きるかを浴びてきました。
 前情報は「冒険活劇」「鳥苦手な人にはきつい」「ダイナミックバード」しかなかったけど、それは本当にその通りだった。鳥苦手と集合恐怖症の人には全くおすすめできない……
 そんな感じでネタバレ感想を箇条書きで綴っていきたいと思います。

1.主人公がド金持ち
最初に東京の家が出てきたとき、ほーん今回の主人公はお金持ちのシティボーイね、と思った。しかし疎開先のお屋敷とやらの全貌が明らかになるにつれ、我々はその規格外の財力をまざまざも見せつけられることになるのである。

この家ド金持ちだ…

 小金持ちとかお金持ちとか、牧家はそういうレベルの家ではない。まず家がお屋敷というより御殿なのである。まず玄関の段階でだだっ広い広間が続いているのが見えるが、左右はともかく奥行きが遠い。襖を開放してるのにその先にも広間が続いてるのが見える。その後縁側を歩くんだけど、なかなか終わりが見えない。
 おそらく母屋であろう屋敷から、さらに別棟に移り、奉公人のスペースを抜け、加えて主人公たちが暮らす洋館がある。さらに外に出ればくそでけぇ端の見えない池と、奥に森、しかも今回の舞台となる謎の塔…
 これまでもぱやお作品には戦前のお金持ちは登場した。風立ちぬの菜穂子さん家とか。でもここまでのド金持ちは出てきたことがないのではなかろうか。おそらく牧家はサマーウォーズのなつきパイセン家よりでかいのではなかろうか。パイセン家は殿だから、つまり下手な地方領主よりいい家に住んでることになる。
 使用人の数もエグい。少なくとも7BBAに1爺が存在している。時代背景が太平洋戦争まっただ中で若い衆は戦争にとられていたことを考えると、平常時はこれよりずっと多いのだと思う。
 これはもう普通の金持ちではない。主人公パパも東京から焼け出されたら1年で地方に工場を建てている(もしかしたら事前に計画していたのかもしれないが、それにしても)。戦時中にしては資金調達があまりに迅速すぎる。そして少なくとも塔が降ってきた60年前(舞台が1945年くらいだから1885年くらい?)にはすでにこの地域に支配力が及んでたものと思われるので、明治に急成長した炭鉱王だとか紡績だとかそういう商才で成り上がった家でも無さそうである。
 このエッグい財力、とんでもない場所にある家、近隣住民(ジジババ)の畏敬、後でふれるが「家」を繋ぐことについての執着、そんじょそこらの成金ではない。領主もしくは財閥の傍流級クラスのド金持ちなのではなかろうか。

2.ぱやおのショタ…だと…???
 え、ロリじゃなくて?
 まさかショタが主人公だとは思ってなかった……しかも東京育ちの礼儀正しいお坊ちゃんである。ふーん、悪くないわね……と思って開始直後はショタが走ったり人波に流されたりトラウマを背負ったりお辞儀したりする画面を堪能する。が、後々、我々はこのショタが意外に曲者であることを理解することになる。
 そう、頭ガッのシーンである。
 そこまでは物静かで真面目で礼儀正しい坊っちゃんで、いきなり同級生に喧嘩売られてもたいした怪我もしないソーシャル的にもフィジカル的にも強者であった真人さんの、突然のガッ。しかも思ったよりとんでもない量の流血をし、当然寝込む。いじめだと誤解してお父さんは烈火のごとく怒るし(なお、このお父さんはジブリには珍しく?存在感のけっこうあるお父さんで、息子を助けようと行動を起こしたりする。)、「え、お前そういう子だったん?」状態である。
 他にもナイフの研ぎかたを教わるためにパクッたタバコを爺にやったり、使用人にご飯を美味しくないと容赦なく言い放つなど、なかなかに「良い性格」をしている主人公。ソーシャルフィジカルが強いがメンタルはダメ、ではない。メンタルも強いけどアクが強いのだ。
  そして最初に塔に行ったときに無理やり中に入ろうとする、など、行動力の化身でもある(その辺は父親似だね)。
 ちなみにダイナミックキモバードことアオサギに遭遇後、殺すために弓製作に取りかかったところは「急にモンハンパート始まったな…」という感じがしてとても良かった。冷静に考えればあの家なら完成済みの弓矢どころか猟銃くらいありそうなもんだが、そこで冷静に考えるような少年なら頭ガッはしない。とにかく行動力の化身、家にある本をかき集めて独力で武具を製造するのである。ここで「お屋敷の人たちの力を借りて集団でダイナミックキモバードを召し獲ろう」と集団船に舵を切れる社会性があれば、父親の転校初日ダットサンギャリギャリ登校を経ても学校で友達を作れたのであろう。
 この少年のクラフトマン技能の高さはその後、アオサギのくちばし修理の場面でも大いに活かされる。ここはアオサギ(たぶん何か少年の内面的なものの暗示なのではないか)との和解に重要なシーンであり、それまでかなりのダイナミックキモバードだったアオサギのコミカルな側面を十二分に引き出す場面でもあるので、ここで弓矢製作で培ったクラフトマン技能が光るのはよかった。

3.ダイナミックキモバードが意外に出て来る
 公開前の露出があろうことかダイナミックバードしかなかったので、これは逆にダイナミックバードはあんまり出てこないんじゃないかと予測していた。でも意外と凄いいっぱい出てきた。これは予想外だった。
 それどころか鳥類大集合だった。そしてダイナミックバードはダイナミックキモバードだった。とにかく見た目の造形が気持ち悪い。「歯茎」というものの不気味さを余すことなく伝えて来る。
 アオサギも、ペリカンも、インコも、可愛くユーモラスな側面、残酷で獰猛な側面、惨めに死んでいく側面、愚かな側面、「動物」よりも「人間」寄りに描かれていたと思う。そして序盤から鳥の糞が描写されて、いや現実的にそりゃ鳥は飛びながら糞するんだけど、あえてそこを描くというのは凡夫の私にはわからないが、多分ぱやおのこだわりポイントなんだと思う。
 でも鳥の糞が出て来るシーンって鳥が「鳥」をしている場面だけだし、なんかそれはそれで意味があるんだろうな。よくわからんけど。

4.家族関係の複雑さ
 主人公はド金持ちだが、たぶんド金持ちなのはお母さんの家でお父さんは婿養子?それがゆえにお母さんが亡くなったらすぐにその妹を後妻に迎えたのだろう。家と結婚したという認識なのだろう。
 でも長男の主人公がいないなら跡継ぎのために…はわかるんだが、主人公いるからよくない?しかも1年後にはお腹に赤ちゃんがいるので、かなりのハイスピード再婚である。(この辺の事情、親子で見に行った時にちっちゃい子にどういう風に説明するんかな…)
 あと本作はそういうちょっと生々しい夫婦の描写が多めだった気がした。息子が父親と後妻のちゅっちゅを音だけとはいえ目撃したり、夫婦の寝室に入った時に、父親の脱いだ背広がベッド脇のハンガーにかけてあるのを凝視したり。あそこに何秒か尺を取ってるのは恣意的だと思った。
 ネットの記事でぱやおは子供の頃お母さんを亡くしたから…みたいなのを読んだけど、さもありなん、とは思う。いつも「父親」は空気だけど「母親」のイメージは強い。そして今回も「母親」のイメージはバチバチに強烈である。
 冒頭の空襲シーンでのトラウマ、そこに畳みかけるように母に似た(しかも血のつながった)後妻、義母がすでに身ごもってることについての困惑、あげくの果てに母(ロリの姿)との大冒険。現れるのは実母だけではない。キクコさんも「強い母」のイメージだ。若い頃のドーラみたいな感じだろうか。人間は80代になっても「母」のイメージを卒業できないのか……いや、別に一生卒業できなくていいのか…年老いてもいなくなっても、「親」が「親」でなくなるわけではないものね……
 でも今回はお父さんが(メチャクチャ自分勝手で方向性はズレてるにしても)ちゃんと息子のことを大事にしてて、(役には立ってないけど)家族のためなら危険を冒しても塔に向かっていく、という人物なのはちょっと良かった。いや全然方向性はズレてるんだけど。

5.あまりにオタクフレンドリーではないか
 例えば時代背景を説明するのに「開戦から3年」というような情報提示、「300円」という寄付額の提示、突然出て来る「風切りの7番」という厨2心をくすぐるワード、13個の積み木、これまでの映画で出てきたシーンのオマージュと思われるいくつもの情景……

 すごい いやすごいけど、これあまりにもオタク向けすぎんか???

 大量のおばあちゃんも、あの世みたいなところに向かう船の列も、影の人たちも(この場面、骨と思しき場所が濃く黒塗りされてて、『人間って幽霊みたいになっても骨がある(と作者はとらえてる)んだなぁ』となんだか感動してしまった)、幼い頃から多量のぱやおを浴びてきた我々にしてみれば「あれね!!あ~~あれあれ!!あれですね!!」と全く理解はできてなくても早口で他人に「あれだったよね~!!」と語れるポイントではあるのだが、これぱやお初見の人から見たら多分よくわからんよね…? なぜこんなにも大量のBBAが…???BBAとJJIの比率おかしくない???ってなるんじゃないかな??(普通の人はそんなにBBAとJJIの比率を気にしていない)
 この辺がおそらく賛否両論わかれてる原因のひとつではないかと思う。すごい情報量。とんでもない濃縮された情報がワッて来たかと思うと、次の情報がワッて来る。観客は今の…?って思ってる間に次の波が来るので、少なくとも初見では情報が整理できない。

6.美しいものが凝縮されていた
 情報がワッて来る、のと同じカテゴリーかもしれないけど、美しいシーン、印象的な場面、台詞、そういうものが緩急はあるものの、すごい短期スパンでいっぱい来た。例えば普通の「いい映画」に3~4つくらい記憶に残るような美しい情景があるとすると、それが10分に1回、いやそれよりも多い頻度で襲い掛かってくるような感じ。ぜったい作画大変。こんな大盤振る舞いでいいの?という感じ。
 序盤の空襲、お屋敷初登場のシーン(足音とか草むらをかき分けるシーンとか、そういう生活音のSEもすごい良いな…と思った)、蛙大集合、鳥大集合、謎のお墓、死を強烈に感じる海と船、幻想的な森、肉食系インコの群れ、回廊の窓のあるドア、そして塔の上のなんだか昔美術の教科書で見たキリコっぽい空間、炎の描写、石がバチバチしてるところ、産屋、垂直登攀、視覚的に印象に残る、寓意を感じるシーンの波状攻撃だった。
 おそらく私はこの映画に描写されてることの1/50も理解できていないが、正直、美しいシーン、美しい構成、これだけでもお釣りくらいの出来だと思う。見てよかった。

7.結局なんの話だったのか
 よくわからんかった。わたくしのような凡百の輩には。
 だけど物語の終わりには少年は確実に成長していたし(「友達も作る!」って言っていたのはえらかった)、夢の世界は終わりを告げたし(しかもほかならぬ夢の構成物であるインコ大王によって破壊された。そしてインコ大王はインコ界隈では人望があり、気高く誇り高い「王」だったのだと思う。それにより壊される、という自壊の仕方も、特徴的だ)、少年の世界の中で、母の死は受け入れられた。そして未来に向かって歩き始めた。少年も、家族も、日本も。
 この映画を当時の国の趨勢と直接結びつけるのは違うとは思うけど、少なくとも「何かが死んだ(滅んだ)、その先」に向かって終わっているところは主人公も世界も同じだと感じる。
 映画は本当に美しいものだった。美しいものの集合体で(だけど確実にキモいや残酷なものもちょいちょい挟まってきていて)、だけどそれが終わる時が来る。生があり、老いがあり、死がある。
 その上で「君たちは」「どう生きるか」。これは問いかけであって、アンサーソングを作るのは、問いかけをうけた私たち視聴者なのではないか。いや10中60000、こんな壮大な問いかけに応え得るアンサーソングを歌える人間なんてそうそういないけど。いたとしても米津玄師だけだけど(突然の巻き込み事故)
 でもいいんじゃないですかね、壮大なアンサーソングじゃなくっても。問われた、ということを心に刻んで生きていくことこそ、一番だいじなことなんじゃないですかね。そういう意味ではこれは質問編ですね。回答編はぜひ、あなたの人生で。

 ところで大おじさまはどこ行ったのかな。消滅??

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