遂行難易度から見た童謡

一年生~になったら~
一年生~になったら~
友達100人できるかな♪

できないよ!!

できるわけなかろう!!

仮に異次元のコミュ力を持つ7歳児と1学年100人以上のマンモス小学校があったとしよう。友達は100人できるかもしれない。しかし、その先が問題だ。
「100人で食べたいな 富士山の上でおにぎりを」
ムリムリムリムリかたつむりですよ。富士山登頂能力のある強靭なフィジカルエリート小学校一年生を100人だなんて。しかも富士山登山シーズンは夏しかないから、一年生の一学期には登頂できるところまで体が仕上がってなきゃいけない。仮にそんな児童が100人もいる組織があったらもうそれは小学校じゃないよ。それは「魁!男塾」だよ。
いやでも、「一年生」って言ってるだけで小学校とは限らないし?大学一年生だったらいけるんじゃね?大学一年生で超絶コミュ力の持ち主がマンモス大学の栄えまくりトレッキングサークルに入って4~8月までの4ヶ月に1月あたり25人のペースで友人を作り、サークル全員参加の富士山トレッキング合宿にのぞんだなら??富士山の上で100人のニューフレンズとおにぎりを食べることも可能では?
いやダメだ。そんなことした瞬間にこの歌は「童謡」ではなくなってしまう。単なる陽キャのウェーイソングでしかない。そんなもんは童謡じゃない。

友達を100人作る時点で陰キャには絶対無理な話と思われる「一年生になったら」だが、おそらく名うての陽の者であっても結論は同じだ。そう、童謡の世界は実現可能性が意外と乏しいのである。

いや、しかしこれは「一年生になったら」が行動系の童謡だからでは?もっと、何をするとか何ができるとかじゃなく、情景を歌ったもの……単に美しい風景とかを歌ったものなら、実現できるのではないか??

例えばそうだな、「赤とんぼ」はどうだろう。これなら昆虫出てくるだけだし。
「夕焼け小焼の 赤とんぼ
   負われて見たのは いつの日か」
  なんて夕暮れ時にダディorマミーの背中に背負われて赤とんぼ見た記憶があるだけで任務遂行!!楽勝!!それはどうかな?
忘れてはいないだろうか。二番のことを。
「15でねえやは 嫁にいき
    お里のたよりも 絶え果てた」
だ、ダメダァーーーー!! ねぇや、そんな子守りをしてくれる労働女児なんて令和の現代には存在しねぇーーー!!!よしんばこの「ねえや」をお姉ちゃん、もしくは面倒見てくれる親戚のお姉ちゃんとしても、だ。法律上の婚姻可能年齢は……18歳!!つまり現行法制下においては「15で嫁にいったねえや」をご用意することは不可能!!ちなみに改正前でも16歳だから不可能!!いったいいつだったら15歳で嫁にいったねえやは可能なのか?というと、どうも明治時代に民法が作られた時15歳だったそうです。oh…ねえや…そんなもう歴史上の存在……

 じゃあ、なんだったら可能なんだ。「朧月夜」とかいけそうだな。「菜の花畑があって山が見えて夕方に霞が発生しつつも月は観測可能な気象条件、カエルが鳴いてて鐘の音が鳴る」……鐘の音??今現在、令和の世に鐘で時刻をしらせる地域はあるのだろうか…
いろいろかんがえると、「ぶんぶんぶん 蜂が飛ぶ」なんてベリーイージーではないか、という結論に達した。なにせ池の周りに花が咲いて蜂が飛んでればいいだけだから!

あと気になるのは「お弁当箱のうた」ですね。
これっくらいの お弁当箱に
おにぎりおにぎり ちょいとつめて
刻みしょうがに ごまふりかけて
にんじんさん 山椒さん
しいたけさん ごぼうさん
穴の空いたれんこんさん
すじのとおった ふき

おわかりだろうか…?

野菜を調理した形跡がないのだ。つまりこいつぁ 生 野 菜 弁 当 …!!!


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