「終わり」との付き合い方、ゼノブレ3を交えながら。
「アイドルマスター SideM GROWING STARS」(サイスタ)のサービス終了が発表された。
これにより、アイドルマスターSideMというブランドから「ゲーム」という形のコンテンツが無くなることになる。
公式から得られる情報はここまで。
しかし、人々の憶測が憶測を呼び、他のアイマスブランドへの懸念が募っている。
未来への不安。「終わり」への恐怖。
ところで、ちょうど同時期に自分が「ゼノブレイド3」というゲームをエンディングまで遊んでおり、そのストーリーやメッセージ性と少し通ずる部分があるように感じた。
その話を交えながら、「終わり」との付き合い方を考えてみる。
以下、「ゼノブレイド3」のネタバレを含みます。
「未来への不安」から生まれたメビウス
まず、ゼノブレイド3の話の大筋はこうだ。
ある2つに分かれた世界があり、それが元の1つに戻るため融合しようとしていた。2つの世界は融合の後、対消滅する運命にあった。
これに対し人々は、それぞれの世界の情報を蓄積し、消滅後再構成する機械「オリジン」を開発した。これにより、「初めから融合・消滅などなかった」状態で世界が存続できる。
しかし、オリジンが実際に動作してくれるかは不明であり、消滅の可能性は残されていた。これに対し人々は不安を膨らませる。
この人々の不安が、思念体的な存在「メビウス」を生んだ。メビウスは「永遠の今」を望んだ。
メビウスはオリジンを掌握し、2つの世界が融合した瞬間、世界の時を停止させた。
主人公一行はこの世界の仕組みを知っても、消滅の未来の可能性が残されていたとしても、なお未来へ進むことを決意し、メビウスを打倒し、オリジンは無事動作した。
今回話をしたいのは、「人々の不安がメビウスを生んだ」という部分。
コンテンツの終わりを恐れること、これはまさにメビウスそのものだなと感じた。
作品内でも「誰にでも心の中にメビウスがある」と言っていた。
別にアイマスやソシャゲなどに限った話ではない。
アニメの最終回などで、終わってほしくないと思う人や「○○ロス」といった表現がある。
誰にでも「今この瞬間が最高で、この瞬間が永遠に続いてほしい」と思うときがある。
何事にも終わりは訪れる。諸行無常である。
「いつかは終わりが来るのだから、それだけに頼った生き方はやめよう。依存先は複数持とう。自分が楽しめるものを新たに見つければ良い」
と、自分に言い聞かせている。
しかしこの考え方は、人によっては「持てる強者の言葉」に捉えられてしまうだろう。
実際自分が「明確な終わりが定められている買い切り型などのコンテンツ」に馴染んでおり、「終わり」への耐性があるからっていうのもあるかもしれない。
実はゼノブレイド3はこの点にも触れている。
「選べる者は未来を信じる道を進んでも良いだろう。しかし選べない者、弱者はどうする?」
という問いを、作中で何度も投げかけている。
主人公が「たまたま運が良くて強者になれた」と断言しつつも、この問いに対して明確な答えは出ずに終わった。
実際難しい問題である。答えなんて出せるものではないだろう。
出来ることとしたら、「弱者が選択肢を増やせるような世界を強者が作る」ことくらいだろうか。
閑話休題。
結局のところ、「終わりはいずれ訪れるから、その終わりとどう向き合うか」がポイントだと考えている。
コンテンツに対して期待をするのは良いが、その期待が大きすぎると、失望へのリスクも増大する。
自分なりの付き合い方を考えてみよう。
さっきから消費者側の話しかしていないので、最後に提供者側向けの言葉を。
「終わりの美学」というものがあるように、終わるなら気持ちよく終わりたいよね。
以上
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