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私を構成するマンガ3選(民俗学的回想)

 菊地暁氏の「民俗学入門」(岩波新書)には、この学問においては「私(たち)が資料である」という言葉がある。学問をやろうという訳ではないが、ちょっと民俗学的に自身を振り返ってみた。題して、「私を構成するマンガ3選」である。

  1. オバケのQ太郎

  2. 鉄腕アトム

  3. 巨人の星

 昔のマンガ過ぎてほとんどの人にはわからないのではなかろうか。さすがに、1と2は私も小さい頃にテレビで見ただけなので内容はあまり憶えていない。だが、それだけに自分の血肉になっているような気がする。

 その当時はテレビの黎明期(白黒で走査線式)で、町にはまだ「貸本屋」なんて業態もあったような時代である。気が荒い大人はたくさんいたが、万事今よりものんびりしていた反面で、世の中が豊かになりつつあった時代であった。

オバケのQ太郎

 誰でも知っているドラえもんの作者、藤子不二雄の作品で、週刊少年サンデーという子供向けのマンガ雑誌に連載されていたコミックが原作。オバケのQ太郎では長いので「オバQ」と略され、それでたぶん日本中通じていた。

 東京かその近郊が舞台のように勝手に思っていたが、マンガで描かれていた原っぱや土管が東京でも見られていたし、子どもはそうした広いところに集まって、缶蹴りや鬼ごっこなどして遊ぶのが普通だった時代である。
(補)原っぱにあった土管はトイレの水洗化に対応した下水道事業のための資材であった。

 雑誌連載が1964年、翌65年にはアニメ化されて、あっという間に全国で人気を集めた。生活ギャグ漫画とカテゴライズできる内容で、先行する作品としては新聞の4コマ漫画だった「サザエさん」(アニメ化は1969年とオバQより後)がある。
(補)1964年は最初の東京オリンピックが開催され新幹線が開通した輝かしい年である。

 Q太郎はペンギンをモデルにしたと言われるが、全身が真っ白で大きな目と口に頭は毛が3本だけで犬が苦手という特徴がある。オバケなのにまったく怖くなくて愛嬌しかない。大食いで、大原家に居候していて次男坊の正太と大の仲良しである。

 Q太郎には後から、いろいろな眷属やライバルが出てくるのだが、大原正太はドラえもんで言えば、のび太くんに相当するキャラクターであり、しずかちゃんに相当するよっちゃんや、ジャイアンに相当するゴジラ、スネ夫に相当するキザオがいた。

 言ってみればオバQはドラえもんの原型のような作品である。ただし、平凡な正太と同じようにQ太郎も間の抜けたところがあるのに対して、ドラえもんは未来から来た万能の猫型ロボットでのび太を全力でサポートする点に大きな違いがある。それだけ世の中も複雑になったのだ。

 子どもたちは正太に自分を重ね合わせながら、Q太郎という妖精のような親友に愛着を感じつつ、マドンナ、ガキ大将、お調子者が織りなすドタバタコメディを楽しんでいたのだと思う。それはドラえもんも同様だろう。

 描かれたのは子ども社会の象徴的な縮図であり、平凡な少年がQ太郎(またはドラえもん)という親兄弟以上に気のおけない友だちの異能を借りて、ドタバタと毎日を楽しく過ごす予定調和的な世界観。子どもの情操によい影響を及ぼす作品であった。

鉄腕アトム

 若い人でも名前だけは知っているだろう手塚治虫の名作。1952年からマンガが連載され(キャラクターは51年から存在していたらしい)、アニメ化されてテレビで放映されたのは1963年のことであった。だから、オバQよりも古い作品である。

 この時代には他にもSFヒーローものと言われるアニメ作品が多数あった。それ自体は関根正太郎少年に操縦される、知能を持たないロボットである「鉄人28号」(横山光輝原作)もアトムと人気を二分するSFヒーローアニメであった。

 戦後の日本社会では、日本が無謀な戦争を始めて大敗したのは精神主義を国民に強いて、科学を軽んじたためであるという反省もあったためなのか、SFヒーローもののアニメが流行ったように思われる。

 もちろん戦艦や戦闘機を自国で製造するには相応の技術力が必要だったから日本に科学が足りなかったわけではない。だが、当時は国民を徴兵して銃を持たせて戦闘する時代であり、また、農家人口が3千万人前後いて小作人が多かった。
(補)終戦時の日本の人口が8千万人くらいであった。

 まだテレビはないし大学に行く人は少数、都市化されていない農村では情報はごく限られていただろう。国民の大多数は科学との縁が薄かったが、戦後テレビをはじめとする家電の三種の神器が普及し、民主化と相まって明るい世の中になっていった。

 そんな時代背景があったのだが、アトムはユニークだった。息子を事故で亡くした天才科学者の天馬博士が息子に似せたアトムを創造したものの、大人に成長することがないアトムを見捨て、代わりにお茶の水博士が育ての親?になったのだった。

 悲しい生い立ち?を経験したアトムは人工知能を持ち百万馬力で空を飛ぶこともできる。当然、自我を持っているので感情面で未発達なことを含めて、自分が人間ではないことに悩みもするという超先進的な作品であった。(補)「日常」の女子高生型ロボット「なの」の悩みを思い出してください。

 原作マンガではアトムは悲劇的な最期を遂げるがここではふれない(私も大人になってから知った)。アニメの内容はアトムが大活躍する勧善懲悪のストーリーで科学の先に明るい未来が拓けていると信じられた科学主義の時代を象徴する作品だと思う。
(補)1970年に開催された最初の大阪万国博覧会は復興と科学主義の象徴であった。

巨人の星

 1966年から1971年の間、週刊少年マガジンに連載された、いわゆるスポ根(スポーツ根性)というジャンルの名作である。前の2作と異なるのは原作者(梶原一騎)と作画者(川崎のぼる)との分業で制作された点である。

 梶原一騎というのはペンネームで、たしか梶原景時にちなんで命名されたものだが、当時は売れっ子のマンガ原作者だった。だが、小説家を志した文学青年だったものの夢を果たせず、何か屈折したコンプレックスを持っていたとも言われる。

 反面、子どもの頃から喧嘩っ早い乱暴な性格で、反社会的勢力との交際もあったし、晩年は傷害事件で有罪判決を受け、その後、念願の小説家に転向した二年後に長年の不摂生がたたって50歳で死去した(1987年)という波乱万丈の人生だった。

 今思えば、なんでこんな人が少年マンガの原作者でいられたのか不思議なくらいだけれども、梶原の作品はとにかく人気でよく売れた。「明日のジョー」、「タイガーマスク」、「空手バカ一代」も梶原一騎の原作なのである。

 話を作品に戻すと、1955年頃から1972年頃までが日本の高度成長期とされるハイテンションの時代背景から、スポ根ものがマンガ、アニメ、ドラマで人気を博していたのだった。チームワークよりも主人公の努力と不屈の精神に焦点が当てられていた気がする。

 巨人の星は戦前にプロ野球の名選手だった星一徹が挫折した野球人生の成就を息子の飛雄馬(ひゅうま)に託して幼少期から猛特訓を課して投手に育て上げるという物語。後に飛雄馬は巨人に入団して、阪神の花形、大洋の伴らと切磋琢磨していく。

 これは少年マガジン編集部が「宮本武蔵の少年版」というコンセプトのもとで野球を舞台にした成長譚として企画したものだったらしい。飛雄馬は昭和の頑固親父の下で偏った育ち方をしたが、成人してから自分の人生について悩むこととなる。

 しかし、巨人の星は野球に人生を賭けた飛雄馬が傷つき疲弊して球界を去る形で終わっている。このように主人公が目標に挑んだ末に燃え尽きるという結末は梶原作品に多く見られる傾向で、彼の屈折した人生を反映しているようにも見える。

 また、星家には早逝したのか母親が不在で、姉の明子が飛雄馬にとっては母親代わりの存在となっている。主人公を甘えさせてくれる母親がいないという設定も梶原作品に特徴的な傾向と指摘されるが、梶原の乱暴な性格は母方の血筋のようである。

 まるでシャーロック・ホームズ同様に巨人の星も再開続編を望むファンの声が多く、「新・巨人の星」が1976年から連載されたが、私には巨人の9連覇は既に昔話で、思えば飛雄馬が開発した魔球も荒唐無稽だったし続編はまるで読む気がしなかった。

 まあ、子どもの頃は夢中になったマンガだが、封建的な親子関係や偏った育ち方をしたことに成人してから気づいて悩むなど作品も偏っている。悩みの描かれ方も浅いし、原作者の問題点に大人になってから気づいた作品で夢中になった自分を反省する。

まとめのような蛇足

 当初は番外編として同じ梶原一騎原作の「明日のジョー」についても書くつもりだったけれど、巨人の星について書いたらげんなりしてしまった。明日のジョーは、1968年から1973年にかけて連載された作品で、巨人の星の連載と並走していた。

 明日のジョーについて、一言だけふれたいのは作画を担当した、ちばてつや氏の貢献である。ちば氏が梶原と衝突しながら、時には原作を捻じ曲げて作画したお陰で物語に深みと明るさが出て、重厚で充足したエンディングになったと思う。

 梶原は原作に関しては頑固で乱暴者だったから、もしも他の人が作画を担当していたら、同時期でもあったし、巨人の星の二番煎じの幼稚で独善的な暗い話になってしまい、明日のジョーがあれほどの人気にはならなかっただろう。

 作中、主人公の矢吹丈のライバルだった力石徹が試合が原因で死去した時には、ファンの思いに応えて、リアルの世界で力石の葬儀が営まれたくらいである。梶原以降、似たような原作専業者がいるかは知らないが作画との分業はかくありたいものである。

 さて、自分が影響を受けた3つの作品は、それぞれ生活ギャグ、SFヒーロー、スポ根というジャンルの代表的な作品だが、それぞれに人気を博した要因となる時代背景があったと思う。

 今はどういう時代か渦中にあってはよく分からないが、純文学は芥川賞受賞作に見られるように低調で、反面テレビドラマの原作は小説よりもコミックを原作にしたものの方が多いようにすら感じられる。

 若い人が本を読まずにマンガばかり見るのは、やはり問題があるように思うけれども、マンガやコミックそのものはバカにしたものではないと思う。少なくとも日本では時代を先鋭的に表現するのは狭義の文学よりもマンガなのかも知れないと思う。

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