2016年12月30日 / 年賀状を書く,愛ということ

学生のころは,年賀状などという固陋な因習は打破すべしとか叫んで(叫んでないけど),年賀状を馬鹿にしていた.しかし,社会人になってしばらくして,考えを改めた.

以前も note に書いたように,人間関係は努めてメンテナンスしないと,ほんとに疎遠になってしまう.年賀状を書くのはその大事な手段の一つなのである.

などと偉そうなことを書いたが,恩師への年賀状を書いたところで力尽きた.私には,恩師というくらいにお世話になった先生方が四人いる.考えてみれば,ありがたいことだなあ.

…と思ったら,あと二人くらいの先生に大変お世話になっていた.罰当たりすぎる.明日年賀状を書いておこう.友人等の年賀状も明日でいいや.

年末年始の予定.今日は,諸般の都合により,年越しそばを食べた.明日の大晦日は昼食会,そしてまた年賀状を書く.夕食の予定は適当.1月1日は,お節料理,また,お年玉を配る.最近の子供のお年玉って,私が子供のころに比べれば多すぎじゃないの.あとひょっとしたら,買い物に行くかも.さらに多分,年賀状を書く.1月2日は全く未定.多分買い物.初詣には懲りたので絶対に行かない.それで私の正月は終わり.1月3日はもう午後から仕事.やるべきことが山積状態.

年末年始に限らないけど,子供のころは,休みとかいろいろなイベントが楽しかった.しかし今から思うに,社会人では休みってほんとに貴重なんだよ.私が子供のころも,親とか大人は,その貴重な休みを使って私のために尽くしてくれたんだなあとつくづく頭が下がるような気がする.これは大人にならないと分からないだろうな.恥ずかしげもなく言うけど,そういう,大人から子供へ代々繰り返して伝わるような思いは,愛なんではないかなと思う.


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