2021年12月6日 / 聖書に関する思い出
もうだいぶ会ってないのだが、私にはクリスチャンの友人がいた。それで思い出したことを、大したことではないが、 note にしてみたい。
彼の話では、これまで聖書を散々読んできた(あるいは読まされた)が、新約聖書より旧約聖書の方が面白いと言っていた。
それは彼の本心だったかもしれない。あるいはある種の照れ隠し、韜晦だったかもしれない。
だが私の経験から言うと、私にとっては、旧約よりも新約のほうがはるかに胸を打つのである。
まあ、これは年齢のせいかもしれない。この話をしたころは、彼も私も若かった。
たとえば最近読んだヨハネによる福音書には、以下のような節があった:
24. 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。 25. 己(おの)が生命(いのち)を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠(とこしへ)の生命に至るべし。
(略)
35. イエス言ひ給ふ「なほ暫し光は汝らの中(うち)にあり、光のある間に歩みて、暗黒(くらき)に追及(おひつ)かれぬやうにせよ、暗き中を歩む者は往方を知らず。 36 光の子とならんために、光のある間に光を信ぜよ」イエス此等のことを語りてのち、彼らを避けて隱れ給へり。
ヨハネによる福音書の12章はアンドレ・ジッドの有名な小説のタイトルにもあるが、イエスがその死の前夜に言った言葉であるといわれている。
クリスチャンでない私は聖書の言葉を正確には理解できないが、それでも新約を読むと、人が生きるということをしみじみ考えてしまうのである。
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