2018年7月31日 / 勉強(学校などの)のやり方

一度はまとめておきたいので、勉強のやり方について、書いておきたい。

ただしこの note に書くのは、学校の勉強とか試験勉強とか、内容も範囲も明確に決まっている場合の勉強の方法についてである。仕事や研究で行う勉強の場合、内容に不確定要素が多いとか、言語化できないところが多いので、別 note にしたいと思います。

また、この note に書く内容はそのうちブログにまとまった形で書くので、ドラフト版かな。

と、前置きは長かったが、勉強の効率的な方法なんて、食傷気味なネタではある。なので、ここに書くのは多少とも独自性のあるところに焦点をあてたい。

そういう前提の上で、勉強の効率のよいやり方は、以下にまとめられるんじゃないだろうか:
(1)人に教える
(2)本を書く
(3)暗記する

それぞれ以下に書いていく。

(1)人に教える
人に教えると、ほんとに勉強になる。自分の勉強のためなので、相手より分かっている必要はない。教えようという気持ちだけで、理解が深まる。また、自分では十分に分かってるつもりでも、人に教えると、往々にして理解が至らなかった点が見つかり、冷や汗をかくことがよくある。一人でも、脳内シミュレーションを行うことで、人に教えるのと同じ効果を得られる。特に、自分だったらどうするかと別アプローチを考え、それで人に教えるのもいい。

(2)本を書く
一般的な勉強のやり方といいながら、本を書けもないけど笑。本質的には(1)と似ているとも言える。つまり勉強する内容を相手にプレゼンテーションするということだ。しかし教えるという行為は、相手次第で内容を柔軟に変えられる、インタラクティブな行為である。一方、本を書くのは、相手の存在がより希薄になり、より抽象度が高くなる行為といえる。内容も固定され、より高い完成度が求められる。結果として、本を書く行為は、長い期間集中して苦闘することが必要になるような、密度が高い行為であるといえる。よって、(1)とは別と考えたい。本を書くのが一番いいけど、資料を作ったりするのでもいい。

(3)暗記する
これまで何度か書いたけど(たとえばこの note)、記憶という営為は、コンピュータにおけるメモリへの入出力とは根本的に異なっている。覚えるときにもその後も、説明しづらい形で、今までの記憶と有機的に結合する。そのとき、覚えておく事項は、その形を変容して定着・深化する。その結果として、理解が進むのである。だから、世間一般の暗記に対するイメージと異なり、暗記するだけでも勉強になるのである。


つまり勉強とか理解というのは、咀嚼し、変身していく過程が重要だと思う。何か変わっていく過程、換骨奪胎というか。

理解については、何かを壊して再構築・変換するというプロセスが本質的なんだろう。

この変換をサポートするのが、考えたり、手を動かしたりといった、いわば身体的な作業である。特に、手は馬鹿にならない。手はそれ自体、考えているといえる。


仕事や研究で必要な勉強は、もちろん上に書いたことは使えるけど、もっと別な、言語化しにくい奥が深い行為に思える。これについては別 note にしたい。書けるかな…。

なお、この note はあくまでもドラフトなので、今後書き換えていく可能性はあります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?