2024年6月13日 / 幸いある日には楽しめ、災いある日には考えよ

この項はもともとはつぶやきに書いていたが、例によって 140 字では足りなくなったので、note にする。

「幸いある日には楽しめ、災いある日には考えよ」という言葉は、いわゆる名言として引用されることが多いが、そのソースが書かれていることは少ない。せいぜい旧約聖書の言葉として紹介されるくらいである。どうせネットにある言葉をそのままコピペしただけなんだろうなあ。

こういうことはよくあって、しかもその言葉が間違っていることもある。そこで、ソースが分かる場合はできる限り note にしておきたい。

「幸いある日には楽しめ、災いある日には考えよ」という言葉は、旧約聖書の伝道の書にある:

幸福(さいはひ)ある日には楽(たのし)め 禍患(わざはひ)ある日には考へよ 神はこの二者(ふたつ)をあひ交錯(まじへ)て降(くだ)したまふ 是(こ)は人をしてその後の事を知ることなからしめんためなり

伝道の書 7:14

この言葉がいい言葉なのかどうかは私には分からない。伝道の書は、乱暴に言うと、世の中は空の空だから、結局は神を信じるしかないといった文書であると理解している。そして、今まで生きてきた私の人生を思うと、いろいろ考えることはあるのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?