OLの賛同者名簿と氏名冒用

本記事では、OL(後述)の募集し公開した賛同者名簿と、その名簿で発生した氏名冒用について取り上げる。

私はOLについて思うところが山ほどある。
本記事で書き切れないだけでなく、本連載全体でもやはり書き切れないだろう。

2018年のあるネット署名(読み飛ばし可)

私は過去に(記憶にある限りでは)1度だけ、ネット署名に賛同したことがある。
2021年のOLについてあれこれ論じる前に、そのネット署名がどのようなものだったかを紹介したい。

今から4年近く前の2018年6月20日以降、早稲田大学の教授から大学院生(事件当時)への性的なハラスメントがあった、という一連の報道があった。
翌7月23日付で、同大の教員7人が呼び掛け人となって声明「セクシュアル・ハラスメント報道に関する、早稲田大学で教育・研究に携わる有志の声明」を公表した。

この声明は翌8月6日までの2週間、「早稲田大学で研究・教育に携わっておられる方」の顕名または匿名での賛同をGoogleフォーム経由で募集しており、当時同大の教員だった私も賛同した。
公開の賛同者名簿には今も私の名前が載っている。

賛同した理由は、声明文が私にとって賛同できる、賛同したくなるものだったからというだけでない。
所定の「声明賛同表明フォーム」がメールアドレスの入力を必須とし、しかも「入力するメールアドレスは、可能な限り早稲田ネットのアドレスをご利用ください」としていたからでもある。
これだけでは本人確認として不十分だったが、不正署名を(ある程度まで)予防できるようになっており、ガバガバでなかった

所属先(この場合は早大)から支給されたメールアドレスの入力を必須にするだけでは、
本人確認として不十分。
担当授業で履修者全員に自分のメールアドレスを開示している教員も少なくないからだ。

そもそも、自分のメールアドレスを誰にも明かさない人はほぼいない(もし明かさなければ
誰ともメールの遣り取りができない)ので、本人以外にもメールアドレスを入力できる人は
ほぼ必ずいる。
なので、当たり前だがメールアドレスをパスワードのように活用することはできない。

十分に本人確認するためには、所属先から支給されたメールアドレスの入力を必須にし、
そのメールアドレスにメールを送信して、賛同希望者に返信させる必要がある。

2018年の声明「セクシュアル・ハラスメント報道に関する、早稲田大学で教育・研究に携わる有志の声明」は、賛同者をGoogleフォームで募集してその名簿を公開する、という新手のネット署名の先駆けだったのでないかと思う。
少なくとも私は寡聞にして、これより早い時期の類例を知らない。
そして、本記事でこれから取り上げていくOLより3年前のものでありながら、それとはいろいろな意味で大違いだったということを言っておきたい。

本人確認の完全欠如

呉座勇一の鍵垢解錠と大炎上から2週間後の昨年4月4日付で、研究者や編集者など18人はオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(以下、"OL"と略す)を公表し、賛同者募集を開始した。

魚拓

OL運営は、Googleフォーム経由で送信されてきた氏名と肩書きを、公開の賛同者名簿に随時追加していった。
私は、OL運営が賛同者の本人確認をしていないこととそれが原因で大問題に発展する危険があることを、最初期から察知していた

OLの賛同者名簿に掲載された氏名肩書きの持ち主が本当にOLに賛同していたか不明であり、
厳密には「賛同者(なるもの)」などと表記すべきだが、煩雑になるため「(なるもの)」は
省略する。

4月4日午前にOLを公表して賛同者募集を開始したOL運営は、同日午後10時4分、賛同者名簿に450筆の氏名肩書きを掲載した(魚拓)。
賛同者名簿の伸びる勢いが尋常でなかった。
私は「たった半日でどうやって450筆もの本人確認を完了したんだろうか」と思い、所定のGoogleフォーム「呼びかけに賛同する」(魚拓)を閲覧したところメールアドレスの入力が任意になっていたため、「OL運営は本人確認していないな」と察知した。
入力必須項目の「お名前」と「肩書き」だけで本人確認することは、ほぼ不可能だからだ。

もし「お名前」「肩書き」だけでOL運営が本人確認しようとしたら、「肩書き」として記入された
大学なり企業なりに
「そちらにこういう名前の人はいますか。もしいるなら、その人は私たちのOLに賛同しましたか」
と照会するくらいしかない。
大学や企業がそんな照会に応じるとは考え難く、そもそも、もし記入された「肩書き」が
ただの「研究者」や「編集者」だったらどこに照会したらよいのかも分からない。

この時点で私は、「Googleフォームを経由してメールアドレスの入力すらなしで送信されてきた氏名肩書きを公開の賛同者名簿に掲載するなんて、正気の沙汰じゃないな」と思った。
また、「こんなガバガバな賛同者募集に応じる人たちの気も知れないな」と思った。

そして、同4日午後10時4分更新の賛同者名簿450筆に「千田由紀江(国際信州学院大学 社会学部 学部生)」が含まれていることが、翌5日午後6時12分にヒで指摘された。
この学部生が在籍しているという国際信州学院大学は、実在しない。

この指摘にOL運営も気付いたのか、同日午後8時更新の賛同者名簿852筆(合計)では問題の「千田由紀江(国際信州学院大学 社会学部 学部生)」が消えていた(魚拓)。
そしてOL運営は予告通り、同月30日に賛同者募集を締め切った。
確定した(はずだった)賛同署名は1316筆。

私が沈黙していた理由

前章で私は、「OL運営が賛同者の本人確認をしていないこととそれが原因で大問題に発展する危険があることを、最初期から察知していた」と書いた。
読者は、「だったら最初期にOL運営に忠告すればよかったじゃないか」と思ったかも知れない。
しかし私は、大学院進学以来15年(当時)研究者業界にいる経験と、いくつかの学会で公式ウェブサイトの管理担当者をやってきた経験から、こういう事案で「危険だ」と忠告することには危険があると思われた

老若男女の研究者にも、恐ろしいくらいに意思疎通の困難な人がいる。
こっちがいくら言葉を尽くして説明しても、そういう人は話を理解しないどころか、かえって怒ったり恨んだりしてくる。
今回の場合、仮に私が「この方法での賛同者募集は本人確認ができず氏名冒用の危険があるので、中止した方がよいです」などと忠告しようものなら、とんでもなく曲解されて「森新之介とかいう男性研究者がわけの分からないことを言って女性差別反対運動を妨害してきた」みたいな悪評を陰に陽に流される危険があった

もちろん、研究者にも話の分かる人がいることはいる。
だが、私はOLの差出人18人に知り合いが全くいなかったので、忠告して話が通じるかどうか分からなかった。
よく知らない研究者に打ち明け話をしていたら、アカデミック・キャリアがいくつあっても足りはしない。

しかも、前述の賛同署名「千田由紀江(国際信州学院大学 社会学部 学部生)」の削除後も賛同者募集がそのまま続行されたことで、私は「話せば分かってくれるだろう」という期待を捨てた。
OL運営が賛同者名簿から「千田由紀江(国際信州学院大学 社会学部 学部生)」を削除した理由は、そんな大学が実在しないことを認知したからだろう。
それを認知しながら本人確認のない賛同者募集を継続したということは、不正署名(架空の肩書きや架空の氏名、他人の氏名での署名)が賛同者名簿に混入する危険を問題にしていなかったということだろう。
その危険を問題にしていなかっただろうOL運営に忠告したところで、話が通じるとは全く考えられなくなった。

OL運営に内々に忠告するのでなく、note記事で公然と批判しようか、ということも考えた。
しかし、それも私にとって危険すぎた。
「不正署名の混入している/する可能性があること」は、必ずしも「不正署名が確実に混入している/すること」を意味していなかったからだ。

例えば、左利き手の人は全人口の約1割らしいので、1316人を無作為抽出したら、そこに左利き手の人が含まれていることは調査するまでもなく明らかだ。
しかし、不正署名は一定の確率で生じるものでなく、しかも賛同者名簿の1316筆は無作為抽出されたものでないので、そこに不正署名が含まれているとは断言できなかった
仮に私が「本人確認のなかった賛同者名簿の1316筆に不正署名が混入していないとは考え難い」と批判して、仮にOLの差出人や支持者から「賛同者名簿のどの署名が不正かを指摘してみろ。実害が確認できないのに、OLが誰かに加害しているかのように言うのは誹謗中傷だ」と反論されたら、私は困ったことになりそうだった。
実際に、不正署名の混入などということは私の考え過ぎでしかないかも知れなかった。

なので私は、昨年12月5日の記事「余滴あれこれ(後篇)」で

賛同署名は本記事執筆時現在も1316筆のまま。
ただし、賛同するためにはGoogleフォームから氏名と肩書きを入力して送信するだけでよく、本人確認がないどころかメールアドレスの入力すらも任意だった。 https://sites.google.com/view/againstm/%E8%B3%9B%E5%90%8C%E3%81%99%E3%82%8B
なので、本当に賛同者名簿の1316人が賛同したのかは誰にも分からない。

森新之介「余滴あれこれ(後篇)」(2021年12月5日)

とだけ書いた。
当時はこれ以上のことを公言できなかったが、翌月、氏名冒用の不正署名が確認されたので、本記事を執筆公表しやすくなった。

氏名冒用の被害者による告発

今年1月17-19日、文筆家の古谷経衡氏が、自分はOLに賛同していないのに名前が賛同者名簿に掲載されていると公表し、抗議した。

古谷氏の告発によって、OLの賛同者名簿の1316筆に氏名冒用の不正署名が混入していることが判明した。
直後、何人か(含むOL差出人)が「ネット署名に本人確認がないのは当然だ」みたいなことをTWしており、私は「話の分からない人たちだな」と思った。

しかし、大きな訴訟リスク(後述)があることを理解したのか、あるOL差出人はその不正署名を賛同者名簿から削除して古谷氏に陳謝TWした。
そして同月31日、OL運営(差出人16人)はお知らせ「氏名詐称による賛同への対応と本オープンレターの今後について」を公表し、氏名冒用の被害者たちに陳謝した。

本オープンレターへの賛同について、これまでも悪戯と思われる署名についてはその除去に勤めてきましたが、 このたび他人の名前を騙る悪質な署名偽造があったことがあらためて判明しました。
差出人として、お名前を利用された方々には、対応が遅れ、多大なるご不便ご迷惑をおかけしていることを、心よりお詫びいたします

OL運営(差出人16人)「氏名詐称による賛同への対応と本オープンレターの今後について
(2022年1月31日)(魚拓

翌2月15日の古谷氏の記事(後述)によれば、当時までに複数のOL差出人から「極めて丁寧な謝罪のメールやお電話」があったという。
これで古谷氏はOL運営と和解したようだ。

ちなみに、古谷氏の告発直後に「ネット署名に本人確認がないのは当然だ」みたいなことを主張していた人で、後に個人として「私の考えが誤っていました」と公言した人を私は知らない。

本人確認と賛同者名公開

名前を冒用された古谷氏は2月15日、本人確認のないネット署名の危険について警鐘を鳴らす記事「「オープンレター」問題にみるネット署名の危険性」を公開した。

この記事は文体にかなり癖があるものの、必読だろう。
重要だと思われる箇所をいくつか引用する。

小生が申したいのは、呉座氏の言動への賛否などではない。
巷間繁茂する各種の「ネット署名」というものの危うさについて、その一点である。

要するに、僭称が幾らでも可能な世界なのだ。
単に署名数の多寡を問うものであればこの懸念は当たらなぬかもしれぬ
しかし、署名をした「賛同人」の名前を先行的に掲載し、その賛同人の社会的知名度や経歴等々で、後続の署名者を誘引する「かの」ような今回の「オープンレター」の場合にあって、署名者の筆が真正であるかどうかは、第一に最も重要なことであることは言うまでもない

先行して「こんな人も賛同人になっているんですよ」と示して署名を募った本稿の事例については、本人確認をするシステムが全然存在していないことが最大の瑕疵であり、本人確認ができない仕組みならば賛同人にかくかくの氏名をそもそも載せるべきではない
後続の署名者は、先行する賛同人を観て署名判断を下すことが少なくないからである。

古谷経衡「「オープンレター」問題にみるネット署名の危険性
(Yahoo!個人ニュース、2022年2月15日)

仮にこれらが氏名冒用の被害者でない私のような第三者の意見だったとしても、誰か反論できるだろうか
私には間然する所のない正論に見え、反論が思い付かないので、思い付いた読者がいたら本記事末尾のGoogleフォームから送信してみてほしい。

古谷氏も書いているように、問題はOL運営が本人確認しないまま賛同署名を受け付けて筆数を公表したことでなく、その賛同者氏名を本人確認なしで公開の賛同者名簿に掲載したことにある。
もし賛同者名簿を公開せず、ただ「いただいた賛同署名は合計1316筆でした」とだけ公表していれば、こんな大問題にはなっていなかったに違いない。

ちなみに、前述のように2018年の声明「セクシュアル・ハラスメント報道に関する、早稲田大学で
教育・研究に携わる有志の声明」も本人確認が十分でなかった。
なので、「あの声明に賛同した森にOLを批判する資格はない」と批判されてしまうと
やや反論しづらいところではあり、本記事を公表すべきかはかなり迷った。

しかし2018年の声明は、やはり前述のように賛同者募集のGoogleフォームで
メールアドレス(しかも「可能な限り」早大から支給されたもの)の入力を必須条件に
していたため、OLとは無視できない違いがあったと考えられる。
少なくとも私の知る限り、2018年の声明では賛同者名簿における氏名冒用の不正署名は
確認されていない。

訴訟リスクの大きな「正しさ」は成立するか

「本人確認しないまま賛同署名を受け付けて筆数だけを公表すること」はあまり問題ないが、「その賛同者氏名を十分な本人確認なしで公開の賛同者名簿に掲載すること」には危険があり、まして「メールアドレスの入力すら任意にして募集した賛同者氏名をそのまま公開の賛同者名簿に掲載すること」は非常に危険だ。
これはそんなに理解困難な話でないと思うが、前述のように、世の中には恐ろしいくらいに話の分からない人がいる。
何とかの一つ覚えのように、今なお「ネット署名に本人確認がないのは当然だ」みたいなことを言い張り続ける人もいるようだ。
本章では、そんな人が多分考慮していないであろう訴訟リスクの問題について取り上げ、再考を促したい。

すでに紹介したように、古谷氏は自分の氏名を冒用してOLに賛同した者への提訴を検討していた。

名前が冒用されたことを「私の名誉に対して、および私の政治的中立性毀損という看過できない問題」として提訴を検討することは、不自然な反応でないだろう。

しかし、この「賛同者募集のGoogleフォームから他人の氏名を送信した者」への提訴は不可能だと考えられる
私の理解が正しければ、Googleフォームはプライバシー保護のため、送信者のIPアドレスを取得できないようになっている。
氏名冒用者のIPアドレスはOL運営にすら分からないだろう。
たとえ分かったとしても、数か月が経過するとIPアドレスからその利用者を突き止めることは困難になる。

やはりすでに紹介したように、古谷氏は当初、「オープンレターの首謀者がだれなのかもわからず、訴状の送達もできません」とも嘆いていた。

ちなみに、あるOL差出人が古谷氏に陳謝TWした(前述)のは、この古谷氏のTWの約30分後。

私は法律については素人だが、仮に氏名冒用の被害者から提訴されたら、OL差出人に勝ち目はないだろう
「OL差出人は、どこの誰だか分からない人が送信してきた氏名肩書きをそのまま公開の賛同者名簿に掲載しただけなので、悪くない」みたいな主張が、裁判所で通用するとは考え難い。

話の分からない人は、「悪いのはあくまで氏名冒用者なので、OL差出人に損害賠償を請求すべきでない」とか反論したくなるかも知れない。
しかし、氏名冒用者が誰なのか特定不可能で、したがって氏名冒用者への損害賠償請求が不可能であれば、その反論は「氏名が冒用されて政治的中立性や人格権が毀損された被害者は、そのことへの損害賠償を誰にも請求すべきでない」と主張することと同義になる。
そんな暴論に納得する被害者ばかりでないだろう。

何度も言うように、OLの賛同者募集には本人確認がなかった。
なので、OL運営は賛同者名簿に掲載したどの名前の持ち主から提訴されることになるか分からず、(流石に有り得ないだろうが理論としては)千人以上から提訴される危険すらある。
何人から提訴されて損害賠償額がどのくらいになるか予測不可能なネット署名が、「正しい」ネット署名だと言い得るのだろうか
「ネット署名に本人確認がないのは当然だ」みたいなことを言い張り続ける人には、そのことをよく考えてみてほしい。

(次回記事「危ない橋としてのOL」に続く)

Googleフォーム

何か(感想とか分かりづらい箇所への説明希望とか)あれば、お気軽にどうぞ。
多分、送信された内容すべてに目を通すことはないでしょうが。