フードコートは永遠に

先日両親が東京に来るというので、いつもアプリ越しにしか会えない孫の顔を拝ませてやろうと思い東京駅まで出向いた。行きの電車では首尾よく眠ってくれた娘は東京駅に着き、カフェに入るや否やギャン泣き。ミルク飲ませてもおむつを替えても泣き止まず。まともに会話もできないまま、両親は写真一枚撮って帰っていった。申し訳ないなあという気持ちがありつつも、まあ子どもなんてそんなもんかとも思う。僕だって初めて東京駅に来た時にはちびったさ。

次の日、月齢も進んでついに場所見知りがはじまったのかとオロオロしながら近場のイオンモールに行くと、なんのことはないケロッとしている。なんなら抱っこ紐で前向き抱っこをして、周囲にきょろきょろ愛想を振りまいている。郊外育ちの両親から生まれた生粋のモールっ子というわけか。まあ東京駅に行く回数よりもモールに行く方がずっと多いのであって、親としてはありがたい。

ダイエー。ユニー。アピタ。ジャスコ。イトーヨーカドー。実家からチャリで20分圏内に色々あった。モールというほど大きくもなく、かといってスーパーに行く時よりも心躍る店舗。スガキヤとかミスドが入ったフードコートや、試しプレイができる新作ゲーム売場。限定のベイブレードが売り出されるっていうチラシが回ってきて、土曜の朝イチに親と一緒にならんだり。背の高い、もう明らかに自分らとは比べ物にならないレベルのうまさで太鼓の達人を叩く兄ちゃんがいたり。本格的に部活が始まる前の、あの永遠に近いような長さの土曜日の午後を過ごした商業施設たち。

そんな思い出をこれからうちの子もあっちのイオンでこっちのイオンで経験するのだなあ。そう思うと都心育ちの子供たちはどこで遊ぶのだろうと思う。友達同士連れだって自転車であべのハルカスとか麻布台ヒルズとかに行くのか?(そもそもそんな場所に住んでいる子供たちは週末は習い事やお出かけで予定がパンパンなのか?)(この国には、土曜日をダイエーで過ごす少年少女とそうじゃない少年少女がいて、あまりにも田舎(辺境)だったりあまりにも都心(中心)に住んでいたら後者になって、周縁出身の我々がモール原理主義者になるということなのか?山口昌男?)

帰りはぐずる我が子と一緒に両親を新幹線の改札まで見送ったが、そういえば新幹線のメロディー変わったね。前のTOKIOのやつも好きだったけど今のもいいね。あとJR東海ってCMもいいよね。なんなら鉄道業界のCMってどれも素敵だよね。九州新幹線が開通する時のCMなんか、たまにyoutubeで見返しては目頭が熱くなる。

新幹線が好きだ。乗車中、窓から過ぎていく景色を見ていると、生活があるなあといつも思う。夕陽に照らされた田んぼの狭間の道で犬の散歩している人。きっと毎日の散歩コースで、次の日もその次の日も、同じ時間帯に歩くんだろう。一瞬で過ぎ去っていく駅看板。夜、カーテンを開け放ったマンションの一室から見える、見知らぬ誰かのリビング。それらは神奈川県や静岡県に住む誰かの人生の一部だけれど、日本全国津々浦々で、同じような風景が繰り返されているんだろうなあ。
みんな、自分の生活をしている。新幹線の車窓から、ぼーっと眺めていると、あっという間に数時間が経って、みんな、それぞれの人生を歩んでいるなあと思って、僕も、僕なりに生きていいんだよなって思うし、娘ちゃんも娘ちゃんなりに生きてくれたらいいなあと思う。

Jリーグがはじまって、グランパスは完敗していた。クリアソンも開幕もうすぐで楽しみ。早く寝ないと、夜中のミルクづくりが待っている。


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