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学問

 松賢堂講義では、非常に「学問」好きな方が集まってきます。

そういう方々には、本来、釈迦に説法になるわけですが・・・
軽く、以下のお話をさせて頂きました。

 「学び」とは、「自分を完成させる」ためのものだと思っております。
よく「役に立つのか? 」とおっしゃる方がいらっしゃいますが・・・
そもそも「自分を完成させる」つもりがない人に「学び」は不要です。

松賢堂しょうけんどうでは、「正見道しょうけんどう(偏らない見方)」を身につけるために、古典や歴史を学び、自分との共通点や違いを感じてもらうようにしております。
毎回、誰がどの部分に惹かれるのかなあ? と楽しみにしております。
そして、「学び」のあとは、「問う」てください。
自分自身に。
自らの「問い」に自ら答えられない時は、その質問範囲において、まだ自分が完成していないということです。
他の人々の意見や先人の書き残した書籍を当たり、腑に落ちる考え方を学んでください。
そして、再び「問う」てください。
「学問」とは、その繰り返しです。

知識が増え、環境が変化し、様々な経験を通じ成長していく中で、自分を完成させる。

多分、永遠に完成しない道程を歩み続けることこそが、「学問」に生きることだと思います。

別に「学問」に生きなくても、人生はおもしろおかしく過ごすことが出来ます。
ただ・・・何といいましょうか・・・

「学問」を通じて、不思議な高揚感というか充実感というか、そういうのを一度でも味わってしまうと、多分、「学問」がやめられなくなります。
「学問」なんて役に立たない、と仰っている方は、まだ、その体験をしていない方なんだな、と思っております。

しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。