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自灯明法灯明

もう一つの座右の銘が、「自灯明法灯明」という言葉です。
こちらは、仏教に関する言葉で、知名度は「塞翁が馬」に劣ると思います。
「大般涅槃経」という経典の中で、仏教の開祖・仏陀が死の間際に弟子たちに遺したとされている言葉です。

この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、
法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ。

というものです。
「島」は、「拠り所」や「灯明」として表現されることが多いです。

解釈は、色々とありますが、私としては、以下のように解釈しています。

「自分を頼りにする」とは、他人を信じないという意味ではなく、
「自分自身と向き合い続けなさい」という意味だろうと思っています。
”一寸先は闇” と言うぐらい、人生は何が起きるか分かりません。
それなのに、「他人を頼りにする」ことを選択してしまうと、その人がいなくなると、何も判断できない、お手上げとなる、他人依存の人間になってしまいます。
自らを燃やして灯明とする、自らを自らの拠り所にするとは、自分自身と向き合う以外に頼るよすががない、ということを言っているのだろうと。

その一方で、我流で自己中心的な考え方で邁進すれば、とんでもない過ちを犯してしまいかねません。
そこで、「法(真理)」をもう一つの拠り所とする。
「法」は、三法印でも良いですし、四法印、あるいは一法印でも良いと思います。
もしくは、真理でも良いですし、より良く生きるためのものであれば、その人が信じる宗教的なもので構わないと思います。

三法印とは、

「諸行無常」・・・この世にあるものは永遠不変ではなく、移り変わるものであること。
「諸法無我」・・・すべてのものは、関わり合って成り立っている。どれ一つとして、生まれた時から死ぬ時まで、完全独立なものは存在しない。
「涅槃寂静」・・・無常と無我を自得し、悟りを開いた時に訪れる心の境地は寂静(静かな安らぎの世界)である。

四法印では、

「一切皆苦」・・・すべてのものは「苦」である。
となります。

諸行無常は、塞翁が馬にも通じる考え方で、生生流転とも言い換えられるかもしれません。

私としては、そういう不確定性の中で、川の流れに翻弄される木の葉のような一個の人間として、それでもなお、自らに向き合い、法を自得できることを目指し、生きていくしかない、と感じています。
そして、こういった心の在り方を保ち続けておくために、座右の銘として心に刻んでいる次第です。

なんか、堅苦しいお話でしたね。
もう少し気楽なテーマを考えなくては・・・と反省中です。



しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。