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長岡外史
松賢堂講義 日本通史入門で 日清日露戦争について触れる予定です。
司馬遼太郎先生の【坂の上の雲】で、秋山兄弟が有名なのですが、個人的に気に入っているのが、長岡外史です。
![](https://assets.st-note.com/img/1668900446605-xbZRhdR7lx.jpg)
最長で70cmにもなったという【プロペラ髭】という出で立ちも良いのですが、
思考が柔軟で、間違っていると理解したら素直に詫び、改める姿勢
を持っていた点を尊敬しています。
どういったエピソードかというと、日清戦争の時代。
衛生兵だった二宮忠八が、動力付き飛行機の概念を提案し、軍用偵察機として開発したいと上申してきたのです。
当時、世界でも存在しない飛行機の概念を理解できなかった長岡は、今は戦時中だ、として提案を一蹴しています。
のちに、ライト兄弟が二宮の概念と同じ飛行機を飛ばしたことを知り、長岡は自分に先見の明が無かったことを悟ります。
長岡は、ただちに二宮に対して長文の詫び状を送り、面会を求め、直接謝罪しました。
そして、航空機開発を支援する団体のトップに就任し、航空機研究を推進していきました。
間違いは間違いと認め、改めていく。
良いエピソードですね。
さて。日露戦争では、有坂成章が提案した海岸砲(28サンチ榴弾砲)を旅順攻略中の第三軍(乃木軍)に強引に送り届けています。
![](https://assets.st-note.com/img/1668901521220-o80GfcRT7I.jpg)
この28サンチ榴弾砲は、乃木軍参謀部では撃てるようにする手間暇だけでも大変な難物として拒否されたシロモノなのですが・・・
旅順艦隊を瓦解させるのに絶大な威力を発揮しています。
死力を尽くして戦った乃木軍の兵士たちの犠牲が無ければ日本は勝てなかったわけですが、この海岸砲を強引に送り届けなかったら、日本は勝てたかどうか分かりません。
当時の日本人たちは、誰か一人が欠けても勝てなかったのではないか?
そう思わせるぐらい団結力・行動力・意志力・影響力を発揮しています。
現代に生きる我々は、ご先祖方の雄姿を胸に、現代の難局に立ち向かっていかなければならないのだな、と原稿を仕上げつつ、改めて感じているところです。
11月26日の講義開始まで一週間を切りました。
さらに練り上げておきたいところです。
しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。