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国葬

昨日は、安倍晋三氏の国葬でしたね。
人には様々な立場があり、色々な意見がありますので、国葬が正解か間違いかは、その人次第で変わってくると考えています。

私個人の意見はシンプルでして、国を挙げての葬儀であるならば、国家元首(日本でいえば天皇陛下)の崩御に際して執り行えば良いと思っております。
今回の安倍氏の葬儀も自民党が党を挙げて行なうべきだったかな、と。

特段、安倍晋三氏の政治的実績を低く評価したいわけではなく、”国家元首以外の国葬”は、国葬の価値を下げてしまいかねないな、というのが理由です。

かつて、中国大陸では、春秋戦国時代という数百年に渡る戦乱の時代がありました。
初期の段階では、【王】は、周国の王のみでした。
南方に異民族の大国・楚が出来ると、そこでも【王】が誕生しています。
北方の諸侯は、【公】を名乗りこそすれ、【王】を名乗ることはありませんでした。
が、時代が下がるにつれ、諸侯が【王】を唱えるようになります。
そして、周王に対する遠慮が無くなり、より激しい戦乱の時代となっていきました。

この戦乱の世を勝ち抜き、唯一の【王】となったのが、秦の始皇帝です。

始皇帝は、陳腐化した【王】を上回る称号を欲しました。
そこで、伝説上の神である三皇(伏羲ふくぎ女媧じょか神農しんのう)または(天皇・地皇・人皇)から、【皇】の字を、
五帝(五人の聖王:黄帝こうてい顓頊せんぎょく帝嚳ていこくぎょうしゅんから、【帝】の字を取ったとされています。

【王】から【皇帝】への事例のように【王】が複数濫立して、その価値が下落すると新たな価値を生み出さないといけなくなるわけです。

こういう考え方から、

国家元首以外の国葬は、行なわない方が良い

となるのが、私的見解なわけです。

そもそも毀誉褒貶の激しい「政治家」を国民全体を巻き込む ”国葬”で弔おうとすれば、政敵が反発するのは当然のことです。

日本国民統合の象徴である天皇陛下の国葬とは、同列では語れないものがあります。
今回、英国女王の国葬が直近に執り行われたこともあり、安倍氏の国葬との対比が世界的に見られたことで、安倍氏を悼むに辺り複雑な心境になったのではないでしょうか?
(私も安倍氏を悼む気持ちがあるだけに、複雑な気持ちです。)

何はともあれ、安倍晋三氏に改めて弔意を示すと共に、今後の政治家の皆さんには襟を正して職責を果たしていって欲しいと願っております。

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