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どこにでもある服が好きだ

昔は他人とおなじ格好をするのがいやだった。ユニクロのコートだったかジャンパーだったか、気に入って着ていたのに外で同じ格好の人をみてすぐ手放したことがある。

なぜ他人と同じ格好をするのがいやだったのだろう?

たとえば、学校の制服とか、仕事のスーツとかは、ほかの人と同じ格好だ。場合によっては革靴も同じだったりする。それは私にとって苦にならない。

でも私服が他人と同じだとすごくいやな気持になることが昔よくあった。

だから私はいろいろなスニーカーを調べて、K-SWISSの無地の白いやつを履いたりしていた。

今はもう本当にどこにでもあるものを履いている。夏はクロックス、冬はラコステかドクターマーチン。いつメルカリで検索してもほぼ同じ値段で売っているアイテムばかりだ。

しかしながら、スマホにかんしては、iPhoneからandroidに買い換えてから半年ほど「iPhoneじゃないって思われるの恥ずかしいな」なんて思って、メーカーのロゴを隠すようなケースを付けていた。

スマホは(当時の)みんなと同じiPhoneじゃないと恥ずかしくて、服や靴はみんなと同じだと恥ずかしい。という思いがあった。なにが違うのだろう?

もっとも今はandroidだし、足元はクロックスだ。不思議なことに、給料が増えるにつれて身に着けるものが安くなっていった。

今は他人と同じ格好をしていることを恥じないし、スマホがandroidであることを知られても平気だ。もしかしたら、若さを失ったからかもしれない。

つまり「個性のゲーム」から降りたのだ。降りたというか、テレビ視聴率のコア層という思想みたいに、除外されたというほうが正しい。


最近、アディダスのジャージを買った。かっこいい。これを着ていると、外でまったく同じものを着た人とすれ違う。

でも今のほうが、どこにでもある服を着ているほうが、若かったころより居心地がいい。