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疫病と闘う人類の歴史〜スペイン風邪を紐解く〜

こんにちは!板橋区の訪問マッサージ会社、エムズクルーです。

今日は疫病の歴史について。
人類はこれまでの歴史の中で
様々な疫病と闘ってきました。

今、現在のわたしたちの生活は
そんな歴史の上に成り立ち、
そしてまた新しい疫病と闘っています。

そんな疫病の歴史を
少し紐解いていきたいと思います。

〜スペイン風邪を紐解く〜

1918年 1月〜1920年 12月
約100年前のパンデミック。
確定症例 推計5億人
人類史上最悪の感染症の1つである。

スペイン風邪とは実は
インフルエンザのことだったのです。
スペインインフルエンザ(A/HINI亜型)
呼ばれるインフルエンザウイルスの一種。

名前から想像するに、原因はスペインにある?と思われがちですが、
実際にはフランス説、北米説、中国説と
仮説の域を出ていません。
なぜスペインと名称がついているのか。
それは、スペインでの流行が大きく報じられたことにより、スペイン風邪と呼ばれるようになったとの説があります。

起源に諸説あるため、確実とは
いえませんが、スペイン風邪の経緯を
みていきましょう。

第一波
1918年3月 アメリカのデトロイト、サウスカロライナ州付近で流行。
同年5月以降、ヨーロッパに移っていく。

第二波
1918年の秋には、ほぼ世界中に広がる。
病原性がさらに強くなり、
より重篤な患者が増えた。

第三波
1919年春〜秋
第二波と同じく、世界中で流行。

被害者数は推定5億人。
世界人口の25〜30%
死者数は1700万人〜1億人と幅があるものの、戦争や災害等の人類の死因の中で
最も多くの人間を短期間で死に至らしめた
記録的なパンデミック。

※日本では、人口の30〜40%
当時の人口5500万人に対して
2380万人が罹患。
世界に比べて高水準ではあるものの、
致死率は1.63%と比較的に低水準であった。
(3年間の平均)

猛威をふるった人類史上最悪の
パンデミックは、1920年がすぎた頃に
自然沈静化。

当時は抗生物質なども発見されておらず、
有効なワクチンなども皆無。
医学的な手段はなかったといえます。

対策としては、

患者の隔離
接触者の行動制限
個人衛生、消毒
集会の延期

できることは限られていました。
そのため、なかなか患者数を減らすことができなかったのです。

日本の対策はどのようなものだったのでしょうか。

大正8年内務省衛生局は
今でいう「3密の禁止」を発布し、
感染拡大防止に努めます。

政府の方針に沿って、
幼稚園〜中学校まで全面休校にするという措置をとった自治体もありました。

国の政策や自治体の方針が
感染拡大に大きな効果をもたらしたのか?
感染者の数を見ると、残念ながら
それだけとはいえないと感じます。

では自然沈静化したのは何故?
日本の隅々まで拡大して
罹患し、免疫抗体を獲得したことによる沈静化も大きいのです。

100年前のパンデミックと
今現在のコロナ渦。

時代は違えど、今のコロナ渦でも
決定的な有効策は存在していません。

歴史から学ぶとしたら、
クラスター対策や公衆衛生の向上、
消毒の徹底などに加え、
ウイルスに討ち勝つ身体を手に入れること。

この意識こそが、
ウイルスの猛威を人類が乗り切るための
突破口となるのではないかと思います。
100年前がそうであったように。

そう信じて、ひとりひとりが
意識を持ち、危機感を絶やすことなく
ウイルスと闘うことが大切だと感じます。

終わりのみえないコロナ渦。
長引く自粛。
感染の恐怖で募るストレス。

しかし、今こそ正念場では
ないでしょうか。

きっと乗り越えられると信じて、
諦めることなく毎日を過ごしていきましょう。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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