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【最終話直前】 "I Told Sunset About You"の話:レトロな舞台と現代性の間で


はじめまして、chiと申します。

Twitterでお世話になっている方はよく知っていると思いますが、最近タイのドラマに沼ってしまって、なかなか浮上できずにいます。特にハマっているのがBL(ボーイズラブ)で、9月まで住んでいたイギリスでのロックダウン→ステイホーム生活の中で、布教シートからYouTubeでの無料配信で『2gether』という作品を見始めたのがきっかけです。その後夏ぐらいまでは無料配信されている作品も多く(残念ながら現在は版権の関係で観られないものも多くなっています)、ストレスの多かったロックダウン生活の中での癒しとなってくれました。実はタイBLにハマった理由は他にもあるのですが、それはまた機会があれば。

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今回こうしてわざわざここで話したかったのは、私がタイBLの禁断の実とも言える作品を視聴してしまったからです。それがタイトルにも書いた"I Told Sunset About You"こと原題『 แปลรักฉันด้วยใจเธอ』意:「僕の愛を君の心で訳して」(TwitterのYuriさん@love_at_sundown訳)です。

通称ITSAYの主演はBillkin Putthipong Assaratanakul(Teh役)とPP Krit Amnuaydechkorn (Oh-aew役)で、彼らは以前にMy Ambulanceで共演した時から本格的に実力が認められて、本作は彼らのために制作されたドラマ。禁断の実と呼んだのは、一度見たら最後、このドラマが四六時中頭から離れず、主人公たちの物語や心情について考えを巡らせずにはいられなくなるからです。

元々予告編から伝わる画面の美しさ、それまで自分の観てきた​他のタイBLドラマとは一線を画す繊細さに惹かれ、公開を楽しみにしていた作品でした。

しかし、発表されたインターナショナルファン向けの配信プラットフォームの配信料はまさかの各話12ドル(全5話)。ほとんどのタイBLドラマがYouTubeで公開され、無料で観られるのに比べ、あまりにも強気な値段設定にひるんでしまい簡単には手が出ず...その後第1話以外は6ドルに値下げされましたが、それでも全話課金すれば36ドルとまだまだ安いとは言えません。しかもこちら30日間のレンタルで、購入ではありません。なんというインターファンへの仕打ち。

結局4話まで視聴した今思えば、各話12ドル出しても十分に価値があるどころか、お得すぎるほど。すぐにリアルタイムで観ておけばよかったと後悔しています...。全てNadao(本作制作会社)が悪い...。

そんな中なぜ私が視聴を決めたかと言うと、ツイッターで回ってきた第3話でのあるシーンを見てしまい、その息をのむほどの官能さに一瞬で心を奪われてしまったからです。はい、ラブシーンに釣られたと言われれば、そうとしか言いようがないですね。

ついに、二週間ほど前に第1話を夜中の午前2時に視聴し始めました。すると直ちにそのクオリティの高さに衝撃を受けました。その後数日天を仰ぎながらため息をこぼすという奇行を繰り返していたため、妹に真面目に心配されてしまいました。

私は正気、全てNadaoが悪い...。

その後数日置いてからやっと2話3話と一人で悶えながら鑑賞し、4話はVimeoで更新されたと同時に視聴。このドラマの魅力はストーリーに緻密に散りばめられた伏線の数々と、観るものに魅せるだけではなく考えさせる美学とも言える綿密なシネマトグラフィー。そのクオリティに引けを取らない俳優たちの繊細な演技です。そのため、各話70分から80分の長編であることに加え、その時感じたことをいちいちメモに考察として残して置かなければ気がすまないようになっていまい、毎度3時間以上かけてやっと観終わっていました。もちろん次の日は寝不足。全てNadaoが悪い...。

そんなITSAYもついに今夜最終回を迎えるということで、これまで観てきて思ったことをここに書き貯めたいと思ったのです。

前置きが随分と長くなってしまいましたが、まずは簡単なあらすじから紹介し、4話まで見た中での考察、主に舞台設定と現代性についてを書きたいと思います。(ここからである調になるので、読みにくかったらごめんなさい。)


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あらすじ

物語はプーケットを舞台に、同じ学校に通う主人公Tehとその親友Oh-aewの二人の青春物語(coming-of-age story)。昔あるきっかけで仲違いしてしまった二人が、大学進学のための語学学校で再開し、ライバル関係を経て、友情を修復していく中でお互いに対して特別な感情を抱いていくという話。

二人はお互い俳優を目指して同じ学科を受験するライバルなのだが、先にTehが試験に受かったことで、勉強が苦手で学科試験(Admissionと呼ばれる、統一テストのよう)に合格するのが難しいとされていたOhが窮地に立たされることになる。合格発表を見て動揺するOhを見たTehは気持ちを入れ替え、仲違いしたことを詫び、自分が中国語の家庭教師としてOhを助けたいと申し出る。

こうして、TehはOhとまた親友になるべく、また距離を縮めて行くというのが1話のだいたいのあらすじ。

ちなみに私個人はこのドラマはタイBLドラマ(タイではシリーズYと呼ばれる。やおいのY)の一つだと認識しているが、1話の時点ではこの二人の過去の確執とライバル関係について丁寧に描いており、ロマンスの展開はあまりない。しかし、その中にも見逃せない伏線が張り巡らされており、回を進めていくごとに、友達同士のなんでもない振る舞いや言動が二人の関係の発展を物語る重要なヒントになってくる。


日落

各話を表す言葉

ITSAYの制作会社であり主演のBillkin(以下BK)とPPが所属するNadao Bangkokは毎話公開前にそれぞれのエピソードを象徴する中国語の言葉を発表している。それが1話から順に「波」「亲密」(親密)「初恋」「深渊」(深淵)そして最終話は「日落」(日の入)。

これらは4話までのそれぞれの展開を知っていると、なかなかしっくりくる言葉ばかり。例えば、長い別離を経た二人の再会に関する1話は二人のライバル関係が立って大きな変化を迎える。2話では中国語の勉強を通してまた親密になる二人が描かれ、またTehがOhに対して嫉妬とも思える感情を抱き始める。これがまだ友情によるものなのか、それ以上のものなのかわかっていないTehだが、3話ではOhがその思いに気づき、初恋を自覚するようにわざと他の男子と親密そうに振る舞うなど、揺さぶりをかける。そして4話ではお互いの感情が一気に深淵に深く掘り下げられる展開。

5話の「日落」が何をさしているのかわからないが、私の現時点での想像を何点かここに挙げておきたい。まず英語のタイトル”I Told Sunset About You”のSunset(夕日)にかけていて、日没に夕日に向かって何かを告白するという演出がされる。また、TehとOhはそれぞれ月と太陽を象徴しているとされていて、太陽であるOhが落ちる時(縁起が悪いですが、試験に落ちるということなのかもしれません)、つまり月の空の景色が変わって月の出番になる時を示している。つまり、Tehが何かの行動を起こす。最後に、3話で二人が交わした約束について。Ohが学科試験に合格したら二人でプロムテープ岬まで走ってその最端で叫ぼうという約束をするのだが、ここから見える日の入りの景色のことなのかもしれない。


ITSAYとタイの華僑文化

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ITSAYはプーケットの華僑のタイ人のコミュニティを主に扱っている話で、TehもOhも中国にルーツのあるタイ人として描かれている。Tehは実家が福建料理の食堂を営んでいて、母親が中国語を話していて(これもどの地域の中国語なのかは定かではない)、自身も勉強熱心に中国語を学ぶなど自分のルーツとしての華僑文化が近いよう。対してOhはそれほどの傾向はなく中国語もどちらかというと苦手で、Tehに家庭教師をしてもらうまではかなり苦戦している。タイの華僑の人のなかでも、それぞれルーツに関する感覚は違うよう。

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華僑のテーマやモチーフをより一般的な意味で"伝統"として捉えると、Tehはよりその伝統を多く引き継いでいたり、内面化している部分が大きい。これが、家族の期待や自分のセクシャリティに関することなどで、後にプレッシャーとなって彼を苦しめていく。特に、タイBLではよく母親が息子を無償の愛で受け入れる聖母のように扱われがちだが、Tehの母親はいつも笑顔で気前の良いわりに無邪気な顔で息子にじりじりと負担を強いる存在でもある。

そういう性格を表しているのか、Tehの名前は福建語でお茶という意味らしいが、男性や男らしさという単語の意味と近いらしい。このことは監督がインタビューで答えていて、ツイッターでYuriさんが訳してくださっている。(ありがとうございます!)

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特に1話冒頭、バンコクでの試験を終えて帰ってきた息子のために食堂で無償でお客さんに提供することにするが、笑顔で誇り高く迎える母親と受験を労う客の和やかな景色とは裏腹に、Tehの顔はなんだか曇っているように見える。

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また、このシーンではさりげなく4年前と現代の間で父親が亡くなっていることが示唆されていて、Tehの家は長男である兄のHoonを新しい家長として家庭が構成されていることがわかる。兄は成績優秀で大学を卒業し、今は地元プーケットの旅行会社に勤めている様子(バンコクの試験会場に行くのに兄が引率するツアーバスを使用している)。この兄と部屋を共有しているTehは何かと自分と兄を比べていて、実際それは母親の無言のプレッシャーに影響されているということがわかってくる。

クィア映画作品との共通点

華僑文化はドラマのビジュアル面でも重要な役所を占めていて、ロケーションの旧市街の美しさは、このドラマのキャラクターの一つと言ってもよいところ。どことなく懐かしい雰囲気などは、バンコクの大学など都会を舞台にしたこれまでのタイBLとは全く違った雰囲気を醸し出していて、それだけでオリジナリティを出している。この景色をライティングや色遣いの妙で、絶妙に映画のうように捉えていて印象深い映像を作り出してるのも、今作が評価されている要素の一つ。特にルカ・グァダニーノの『君の名前で僕を呼んで』(2017)とウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』(1997)はよく比べられている二作。

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『ブエノスアイレス』と『I Told Sunset About You』

特にツイッター上に多くのファンによる『君の名前で〜』比較があって、検索してみるとファンがグローバルな同時代性を意識しているのがわかる。二つは全く違う物語であるし、単純な比較は問題ではあるけども、こういった投稿をみると、ファンがこの作品をいわゆるクィア映画もしくはLGBTQ映画として受容していることがわかる。BLとクィア作品との境界線は今まで多く議論されているけど、ITSAYもその境をさらに曖昧なものにしている作品だ。

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これらの比較がされる上で、もう一つ重要な要素として、ITSAYで使用されているプーケット旧市街のどこか懐かしい、レトロな姿があると考えられる。『君の名前で〜』も1980年代イタリアを舞台にしていて、その時代らしいセットやファッション、音楽が使用され、コンピューターやスマホ、SNS時代以前の人々が"生"でふれあい、向き合っていく姿が逆に新鮮であると思う人も少なくないだろう。プーケット旧市街も、『君の名前で〜』での夢のような別荘も、過去のファンタジーにタイムスリップしたような空間を演出している。

実際クィア作品が過去に設定されることは多い。先述の『君の生で〜』以外にも、『ブロークバック・マウンテン』(アン・リー, 2005)や『キャロル』(トッド・ヘインズ, 2015)など、特に差別の苦しみや戦いを描くものはその傾向がある。そのため、LGBTQ+コミュニティが現在でも経験する差別を過去のものとして描写して、「現在は昔より進んでいる」という錯覚を起こさせるとして批判されている。

ITSAYは現代の話であるが、旧市街という過去の場所に設定されていることから、このような映画作品との繋がりが指摘されるのも納得である。Tehの中のOhへの感情への葛藤は、異性愛規範の社会で成長したことによって、Tehがホモフォビアを内面化していることを表している。このことを踏まえると、旧市街という過去の場所は上記のような映画の例にも当てはまるかもしれない。しかし、今回はもう少し違う角度からも、この"過去の場所"について議論したい。

レトロな舞台設定と現代性の否定

ITSAYを観ていてもう一つ気づいたのは、現代劇であるにも関わらずレトロな舞台や衣装を使用するのは、最近のNetflixのティーン向け作品に通じるところがあるということである。私がITSAYとよく似ていると感じるNetflix作品の『ハーフ・オブ・イット』も、現代のストーリーではあるが、画面から伝わる主人公の住む街の様子や学校、ファッションなどは70年代か90代らしく、主人公が恋の相手と近づくきっかけも、スマホのメッセージではなく紙の手紙を通してである。

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例えばThe Atlanticの記事では、2010年代のNetflixオリジナルドラマの『ノット・オーケー』『セックス・エデュケーション』『このサイテーな世界の終わり』などの作品について、現代を舞台にしながら、"奇妙でレトロで隠れた土地にアナログ機器や現代風俗と共に設定され、若者がボディポジティビティ、ベイピング、パンセクシャリティについて流暢に語りながら、インターネットなど聞いた事のないように振る舞う" "これらの主人公たちはZ世代ではあるが、聴いている音楽はX世代ばかりで、現代性が否定されている。"と指摘している。また筆者のSophie Gilbertは、これらの2010年代後半のドラマはレトロを美学的に利用しているだけではなく、過去の遺物を理想化された(または理想化することのできる)場所として定義しており、過去の永続性が他のNetflixのリメイク作品(『フルハウス』『ギルモア・ガールズ』)などによってさらに強化されていると主張している。


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現代イギリスを舞台にしながら80年代アメリカ風の衣装とセットが特徴の『セックス・エデュケーション』避妊具なしのセックスをした10代の主人公とその同級生が緊急用ピルを薬局で処方してもらうシーン。

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同じく現代イギリスを舞台にした『このサイテーな世界の終わり』。こちらも60年代もしくは70年代風のキッチンを背景に、息子に異性愛を押し付ける同級生の父親に呆れ、多様なセクシャリティのスペクトラムについて説いている。

旧市街を舞台に現代性を取り入れる

ITSAYのTehとOhの場合、プーケットの旧市街の舞台のレトロさはアメリカやイギリスを舞台にしたNetflixオリジナル作品のそれと一見効果が似てはいるが同じではない

前述したNetflix作品がSNSなど現代のツールを使用すること避け、政治的発言も厭わないのに対し、ITSAYでは10代の若者の身体や性に関する政治的な問題を直接主人公たちが話題にしているわけではないし、むしろTehやOhやその仲間たちは常にスマホのSNSアプリで交流している。こうした中で、LINEなどのメッセージアプリやInstagramなどの活用は、それが一種のメロドラマの装置として機能している。


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タイBLでは他にも『2gether』や『Dark Blue Kiss』などで、これらの2010年代以降のSNSの発達をうまくプロットに組み込んできたが、ITSAYはさらにそこに10代の繊細な気持ちの揺れを書き込んでいる。

例えば、2話でTehがInstagramストーリーを更新してOhが閲覧しているかどうか確認するために何度もページを更新していくシーンは、大多数と繋がるソーシャルメディアでも、実は特定の相手に対して意図して写真を投稿して相手の反応を見ている若者の心情が観察されている。これによって、同年代のNetflix作品が対面で対話することののドラマ性を強化するために劇中のスマホの使用を最小限に抑え、アナログ機器を使用しているのとは別の効果が生まれていて、ITSAYの方が現代性をうまく利用している。現代性を否定しているのレトロの使い方とはかなり違って、むしろ最新機器があるからこそできるドラマを仕立てている。

プーケット旧市街が表す主人公たちの孤立感

この「奇妙なレトロさ」がITSAYに与える別の効果とは何か。それはプーケットという土地が作り出す地理的距離感に加え、主人公たちの心情の孤立化だと考えられる。

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はじめに、ドラマ1話冒頭のバンコクでの試験後の夜の都会の映像と、Tehが深夜バスに乗ってプーケットに帰っていくシーンで、距離と時間の差が提示される。タイの土地に詳しくないものでも、添乗員のHoonが「長旅になるから少しは寝ておけよ」との一言で、この距離が相当遠いことを想像することができる。(実際に12時間ほどかかるらしい)

そして、バスが走り出した後に映し出されるバンコクの姿にはタイ歴2564年(西暦2021年)と表示されている。次に舞台として示されるプーケットの映像は、TehとHoonが到着する朝方の映像ではなく、TehがOhと出会ったシーンでタイ歴2559年(西暦2016年)と表示される。

つまり、大学のある都会のバンコクは現在(もしくは未来)、Tehの帰っていく地方のプーケットは過去として提示されるのである。

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バンコクとプーケットを都会と地方、そして現代と過去としてパラレルに見せていることににより、物理的距離だけでなく、より抽象的な距離が提示される。昔読んだ数学者のエッセイで、日本人の筆者がイギリスのケンブリッジに降り立った時に「日本とイギリスの時差は100年」と表現していたが、このドラマでのプーケットの旧市街も、同じように過去で時間が止まっているように見えるのではないだろうか。

プーケットとバンコクの間には物理的な距離だけではなく、世代の差も強調されているのだ。さらに、これによってプーケットという土地が、他の世界から引き離された場所のように描かれている。この特殊性が映像の中の景色だけでなく、流れる時間、文化、革新と伝統を象徴する場所として観客に伝わる。

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そしてこの外の世界との距離感が、のちにTehを内の葛藤へと導き、孤立させていく効果をじわりじわりと引き出していくことになる。Tehの住む食堂兼自宅は旧市街の中に位置しており、周りを他の建物が囲っている。つまり、狭い地方のコミュニティのさらに密集しているような感覚を覚えさせ、さらにその家のベッドルームも成人している兄と共有している。開けた世界からは孤立しているが、プライバシーを得る余裕があるわけではなく、彼は常に周りの人間の目に晒されている。(なにしろ飼い犬さえOhがTehに近づくと警鐘のように鳴き、干渉している。ちなみに女性であるTarnが家にいるときには出てこない。)

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一見客入りがよく、温かい環境に思えるTehの家庭環境が、実は他社の介入を避けられない空間だと気づいたとき、ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を思い出した。ウルフは「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」と述べているが、潜在的にクィアな若者が自分のセクシャリティを探求するためにも、彼女/彼らだけの部屋が必要なのではないか。この自分だけの空間の欠如が、Ohとの関係の中でのTehの精神的な未熟さに現れていると言える。

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Ohのリゾートは、旧市街よりさらに離れていて、一見さらに孤立しているように感じるかもしれない。しかし、カメラが映し出すOhの自宅のリゾートは旧市街の喧騒から離れてパブリックの求める"理想"から離れられる場所となっている。さらにOh自身の部屋は広々としており、自分自身のアイデンティティについての疑問を問うには十分なスペースが確保されている。さらに、SNSを通して多くのフォロワーを獲得しているOhは、Tehよりも外の世界に通じているかもしれない。(ここは想像の域を出ないが)

とは言え、Ohに両親からのプレッシャーがないとは言えない(実際にリゾートの経営を継ぐように言われている)。彼には自分の可能性を問う時間とスペースはあっても、実家の経営するリゾートが将来を縛るかもしれないという恐れが常に付きまとい、その可能性を完全に享受することはできないかもしれない。

つまり、プーケットという土地は、決して映像の美しさに貢献しているだけではなく、10代の主人公が抱える孤独や孤立を強調するための舞台装置として機能しているのである。さらにこの舞台は現代性を否定しているのではなく。むしろスマホやSNSの利用によって示される現代性の享受によって、その孤立感がさらに強調されている。Instagramのストーリー機能を巧みに利用してお互いの気持ちに迫るTehとOhだが、そのコミュニケーションはとても狭くて遠い世界で行われているようである。近年の政治的アクティビズムがSNSを通して展開されているのを知っていると、二人のコミュニケーションはあまりに内向きであるように見える。

Tehの自分のセクシャルアイデンティティについての問いも、SNSを世界と繋がるツールとして利用していたら、得られる情報も違っていたのかもしれない。代わりに、TehとOhの二人は、プーケットの旧市街の景色とSNSの現代性の間を寂しくさまよっているようなのである。

この二人が(特にTehが)お互いへの友情以上の感情を探求するには、彼らがその思いを安全で安心して解放できる新たな場所(つまり過去と伝統としてのプーケットの特殊性が及ばない、もしくはその力の弱い場所)に二人を導く必要がある。

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この解放できる場所としての舞台にはいくつか考えがあるが、この文章自体がすでに長文なので、今回は簡単に下に簡潔にまとめる。

①ビーチと海:二人の関係性が変化したり、感情が高ぶったときに現れる海の景色。二人の関係の可能性を示唆していて、二人がその準備ができていればどこまでも遠く、深く探求できることを表している。タイBL的な見方をすれば、二人の"船"(Ship)が出航する場所。

②広く開いた窓:外へ繋がる世界と、パブリックにプライバシーがもれる場所との二面性をもっている。Tehの場面は比較的後者として窓を捉えている描写が多い気がする。


上記二つの考察はまだ個人用のメモに溜めてあるので、最終話鑑賞後にまとめたいと思う。また、簡単にまとめた内容も4話まで見た現在での考察なので、5話の最終回の展開によって覆されるかもしれないことをここに残しておきたい。

まとめ

今回ここではレトロな舞台設定と物語の現代性をテーマに、ドラマで巧みに用いられるSNSの描写と、プーケットの旧市街という旧時代的な美学の残るロケーションの乖離性が、主人公二人の心情にどう影響しているのかということを考察した。結論として、I Told Sunset About Youはプーケットという街をを美しい景色として背景に追いやるだけでなく、その歴史が見せる過去や伝統を表象する重要な舞台装置として昇華したことで、洗練された心象風景を表すことに成功している。

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ここまで読んでくれた方、貴重なお時間いただきありがとうございます。考察の最後が堅苦しくなってしまったので、ここで最後に感謝の気持ちを表して、今回のブログ記事を閉じたいと思います。また海や窓の考察は後日書くかもしれません...(不確実)。

それでは、私はあと数時間後に迫った最終話に備えて、少し横になります。もし機会があったら、ITSAYの亡霊になっているだろう私と感想などお話ししてくださると喜びます.....

もしそれほどの元気もないほど消沈していたら....それは全てNadaoが悪い...。

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