見出し画像

2023年どんな年だったか👍

ついに大晦日!
今日もペットの散歩を家族で行ってきました👍

散歩しながら今年一年を振り返っていました。
家族でこうやって散歩できるなんて、、と思うことも出来なかった時期もありましたが、何とか元気にやっている自分の身体に感謝し、そしていつも支えてくれている家族にも感謝。私のことを変わらず信じて一緒に仕事をしてくれている仲間に感謝。ほんと感謝してもし足りないです😿

2023年は、
昨年末に見つかった舌癌の再発を受けて、年明け早々から手術をすることになり、家族には心配をかけました。。
特に妻とは結婚してから一番話し合ったかもしれません。
今回の手術は前回と違い、自分が自分でなくなるという感覚を直感で持っていましたので相当覚悟していました。ですが逃げたくなる気持ちもあり、気持ちは逡巡していました。
仕事のこと、子供のこと、妻のこと、他にもたくさん、、たぶん、私よりも妻の方が百倍不安だったのかと思います。
話し合いながら、抱き合ってお互い涙を流したこともありました。
心配かけてごめんなさい💦
手術前日に入院し、前回入院時の看護師さんなど、お帰りなんて言われながら温かい気持ちで当日を迎えます。(いいスタッフの方ばかりなんです)

オペは朝9:00から、8:30にはオペ室まで看護師さんに付き添われ、オペゾーンは一人で入室し、既に準備をされていた麻酔科医の先生や看護師さんにエスコートされながらベッドに寝て、麻酔器具を装着します。
ベッドの横幅はとても狭く窮屈ですが、暖房がついておりとても暖かく眠たくなります 笑
オペは2回目ということもあり、とても落ち着いている自分がいました。
前回は緊張して、うまく麻酔時の呼吸もできませんでしたが、今回はスムーズに2回ほど深呼吸したら、もう意識はありませんでした。

次に気づいたのが、暗闇の中で何かとても息苦しくもがいている状態が一瞬あり、すぐ気を失い、次は部屋が明るくなっていて、看護師さんに「NOVさん、手術は無事終わって、いま集中治療室ですからね~」と声を掛けられ目を覚ましました。ぱっと目に入った壁の時計は10時でした(看護師さんが次の日の朝ですよ~と)。
後で主治医に話を伺うと、オペ自体は12時間程度で終わったようで、その後集中治療室で朝を迎えたということです。

そこから3日間は意識が朦朧としながらも、少し歩いたり、先生の診察を受けたりなどしましたが、今後のことなど考える余裕もなく、辛いなども感じず、ただ息をしているだけの状態が続きました。

舌をほとんど切除し、口底も切除、顎骨を割り、太ももの一部を口底に再建するという大きな手術で、うまく対応してくださった主治医の先生には感謝、感謝です。。
当然、オペ後は手述部が腫れ、息ができませんので、気管切開して呼吸をすることになり、そのため話すことができません。
ようやく自分で歩いてトイレに行けるようになったとき鏡に映った顔はパンパンに腫れあがり、いつもの1.3倍くらいにはなっていました💦

入院期間が過ぎるにつれ、身体中に繋がった7つの管が少しずつ取れて、どんどん身軽になり、最後には気管切開部分を閉じ、声が出せるようになりました🙌
約1か月間の入院で、後半は元気に歩いていましたし、気持ち的な余裕もあり、早く家に帰りたい、子供の野球練習をやってやりたいなど前向きな気持ちで、心身ともに力が戻ってきました。
手術後すぐはつらいですが、どんどん回復します。人間の回復力って本当にすごいなあと思います。

さて、退院の声が聞こえてきたとき
主治医の先生から、「NOVさんは若いから再再発のことも考え、放射線と抗がん剤をやりましょう」という提案がありました。

えー、また何かやるのか、、、というのがその時の気持ちで、よく聞くと2か月入院しないといけないということで。
長期入院という話が本当につらかった。。何とか通院で対応できないか確認しても、やはり抗がん剤をやると、不足な事態が起こった時に通院だと対応できないということで、結局入院に。

一時退院し10日ほど自宅で家族と団らんの時を経て、また入院へ。。
またまた看護師さんたちスタッフの方からお帰りなさい。。と。

放射線や抗がん剤は手術みたいな辛さとは別の辛さがありますが、
何とか乗り越えることもでき、じーっと我慢する2か月間でした。
なぜ、長期入院を乗り越えられたのか振り返ると、WBCと春のセンバツ高校野球のおかげだと思います。(これは間違いありません!!)

病室でも観戦し、コミュニティルームでも入院中の方々と一緒に応援したり、楽しかったです。
みんな治療中でぼーっとしながらなんですが、テレビ画面を見つめながら日本代表のプレーや、高校球児のプレーに拍手を送るんです。
これってめちゃくちゃ元気貰えますよ!
WBCとセンバツがなかったら私の入院生活は灰色だったと思います 笑

なんだかんだ言いながらも、治療を乗り越え、退院することができました。
この時は桜は散り、木々の緑が深々と青くなり始める時期に差し掛かっていました。
帰宅途中、なにげない風景がとても綺麗に見えたのが今でも覚えています。
やっぱりシャバの空気は美味しい!と思います✨

まずは10Kg減った体重を戻さないと!体力つけなおしや!というのが帰宅後のミッションで頑張って食事を飲み込んでいました。(今でも頑張って栄養をとっています)

父親が長期入院していると子供の野球も見てやれないので、バッティングの不調が続いていたようです。
私のリハビリがてら、トスバッティングなどやってやりながら、久しぶりのコミュニケーションを取りましたが、子供には寂しい思いをさせて申し訳ないなあと思いながら一球一球トスしました。

子供ってわかりやすくて、すぐに調子が戻るんですよね。
退院してから、翌週の試合ではホームランを打っていました笑
こんなにわかりやすかったら、
ますます、俺はくたばってらんないなあと思います💪

体力を戻したいものの、食べることが難しくなかなか栄養がとれません。
3Kgほどは体重が戻っても、夏に入り、増えては減るの繰り返しで一向に体重が戻りません。。
やっぱり細いと見栄えもカッコ悪いし、あと5Kgは戻したい!でもなかなか戻らないんですよね。。

バテバテになりながらも夏を乗り越えることができ、体重も少しずつ増えていきました。

次の難関は、仕事です!
これまで話してナンボの仕事をしていましたから、これが大変です。
事前に私の状況を伝えていた方とそうでない方がいますし、
丁寧に伝えていきます。(でも舌がないのでうまく声がでません。)
メールやLINEなどを駆使してコミュニケーションを取ります。
挫けそうになる時もあり、外に出るのが嫌になるころもありました。
このままでは自分は埋没するんじゃないかという不安感にも押しつぶされそうになることも、、
これまでの自分では考えられない心境になっていました💦

そのような時期が数週間続き、そんな私を見かねた妻から喝が入りました。。
妻の話を聞き入り、いつもは反発してしまう私ですが、何も言い返す力も言葉も出ません。ほんと仰る通りのことでした。

私は一家の大黒柱、私がめげていては家族が暗くなるし、どうしたら良いかわからない。とめちゃくちゃ反省しました。
オペ前の自分のイメージが強く残りすぎて、前の様にやろうと思ってもうまくできない、そんな自分に幻滅して自信を無くしてふさぎ込んでいくというネガティブループにはまっていました。

妻に喝を入れてもらってからは、徐々に今の自分を受け入れることができるようになりました。
うまく話せないのは恥ずかしいですし、話していても涎が垂れてします時もあり(汚い話ですみません💦)、今でもうまくいかないなあと凹むことはあります。ただ、ネガティブループからは抜け出ることができました。
これが自分の姿、以前の自分では感じないことを感じることができるようになったということもあります。
失ったものもありますが、得たものもあり。精神状態がよくない時は失ったものばかりを見ていました。

いまは話せないなりに、テキストで仕事を進めるスタイルに徐々に移行しています。それでも、話さなければならない時はありますが、案外皆さん話を聞いてくれます。
これまで、話す内容だけでなく、話し方も大切だと思って生きてきました。今も話し方は大切だとは思いますが、それよりも、相手の立場を考え、伝えたいことをゆっくりでも話すことがより大切だと気づかされています。

2023年は年初から大きな出来事が続き、心身の状態も変化しました。家族にも心配を掛け、まだまだ心配を掛け続けています。

不安定な時期は続きますが、自分の弱さを受入れ、家族の心強さ、周囲の優しさに感謝しながら、2024年を新たな気持ちで迎えれらえるよう、つらつらと振り返ってみました。

2023年は、私にとって本当に大きく変化した年でした。

皆さん、心身ともにご自分を労わりながら良い年をお迎えください!!
🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?