松平郷「あやめ恋路から高月院へ」
2021/11/18愛知県豊田市の松平郷を訪れました。
さきに掲載した「八幡社・東照宮」から松平家菩提寺の高月院山門までのふるさとの小径を取り上げます。
松平郷をぐるっと一周する3㌔ほどの散策路を「ふるさとの小径」として整備し、松平家の所縁ある史蹟や自然を満喫できる、訛った体を呼び戻すには絶好の散策路。
松平郷を代表する松平東照宮から菩提寺の高月院までの約250㍍程の道周辺は「松平郷園地」として特に整備された道。
紅葉のピークは過ぎたとはいえ、のどかな里山の雰囲気を留め、徳川ゆかりの地など見がてらゆっくり歩きたい道が続きます。
右上の神明社入口が既に掲載した『親氏公行場跡』の神明社入口。
八幡社・東照宮(東照宮)から緩やかな坂を高月院に向け歩き出してすぐに写真のような石段と歩道が奥へと続いています。
稲わらを燃やす煙が霞の様に漂う、収穫を終えた後のならではの光景。
次の稲作に向けての伝統的な光景でしたが、最近は昔の様に藁焼きも思うようには出来ない、世の流れというものだろうか。
歩道脇の石柱は松平八代を象徴したもので七対の石柱が立っています。
その突き当りには松平家の始まり「松平太郎左衛門親氏」の銅像が立っています。
親氏の素性については僧侶だとされたり、ただの旅人としてこの地に辿り着いた、など諸説あるようです。
一つの説として、関東で鎌倉公方との戦に敗れ、足利氏の追ってから逃れるために父・有親と相模国の時宗総本山清浄光寺に出家し、徳阿弥(とくあみ)と称する僧侶だと云われ、徳阿弥は部下を伴い諸国を流浪し、三河国加茂郡松平郷に流れ着き、この地の領主松平信重(太郎左衛門少尉)の客人となり、和歌に通じた才能を認められ、末娘の水姫の婿養子となり松平太郎左衛門尉親氏と名乗ったようです。
この歩道は徳阿弥と水姫をつないだ、あやめにちなんでいるのだろう「あやめ恋路」と呼ばれているようです。
この辺りに天下池と呼ばれる小さな池があり、そにはあやめや蓮などが植えられ、そこに注ぐ流れ沿いは趣もあり散策にはいい。
室町塀
「ふるさとの小径」沿いに高月院まで続く土塀。
塀自体は室町時代の趣を再現したもので、名から室町時代の名残りと思われるかもしれないがそうではないようです。
この時期は延々と続く塀と紅葉が綺麗な場所、塀の一部は苔むし、そこに赤い落ち葉やシダが自生する光景は日本の秋を感じさせる風情があります。
冠木門と天下茶屋
室町塀の中ほどにある茶屋で門も含めて地域活性化のために作られたもののようです。
営業時間は10時~16時で水曜定休、松平郷散策で唯一食事が摂れる場所。
室町塀。
まるで古都にでも来たようなしっとりとした光景も見られます。
氷池跡。
あやめ恋路沿いにあり、ここで天然氷を切り出していたという。
この解説板がなければただの棚田としか見えない。
「氷造りは明治20年頃に始まり、昭和16年太平洋戦争開戦に伴う中止まで行われた。
池に水を張り、一月から三月頃まで三回ほど氷を切り出していた。
切り出した氷は山影の氷室に夏まで保存し、岡崎方面に出荷された。
こうした氷池は真垣内と東宮口にも存在していた」
ひと昔前の山間部の田んぼで冬場スケートする子供達の姿を見たことがあるが氷とは驚きだ。
そんな氷も温暖化の影響で成立しなくなったんだろうね、身近にも氷が張る光景を見なくなった。
気候が変わってしまったのを実感する。
あやめ恋路を氷池跡からそのまま室町塀沿いに上に向かいます。
壁と紅葉が続く石段の小路、壁の向こうを歩くより自然に包まれ落ち着いた雰囲気が味わえる。
壁の先に高月院の山門が姿を見せ始めました。
少し上がると視線の先に高月院の伽藍が視界に入ってきます。
紅葉に包まれたあやめ恋路も間もなく途切れます、山門はもう近い。
因みに山門前に駐車場もあり、わざわざ東照宮から歩く必要はありません。
松平東照宮から駐車場までは普通に歩いてしまえば5分くらいでしょうか。
高月院まで訪れるなら「あやめ恋路」を歩くのをお勧めします。
せせらぎの音を聞きながら、こうした紅葉や山野草など探しながら歩いていると、とんでもない田舎に来た感じですが、ハッチョウトンボの飛び交うこの郷へは、豊田スタジアムから車で30分もあれば手軽に味わえる。四季折々に表情を変える松平郷、お気に入りの場所になりそうです。
…というか、「ふるさとの小径」、途中で道を見失い経由地の松平城跡には辿り着けず、「親氏」の銅像横に出てしまい一周できていない。
雪が降りしきる時を狙って再度歩いてみます。
松平郷「あやめ恋路から高月院へ」
松平東照宮から光月院山門まで / 所要時間徒歩5分程
東海環状豊田松平ICよりR301にて車で約15分。
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