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三翁神社

粟島神社から滝小路を進み、筋違橋を渡り厳島神社の玉垣沿いに続く小路を直進していきます。

やがて道は右がロープウェイ入口、左に進めば千畳閣の下に通じる分かれ道に出会います。
厳島神社摂社 三翁(さんのう)神社はその分かれ道に鎮座します。

銅で巻かれた明神鳥居と朱の玉垣が三翁神社を象徴するものかもしれない。
粟島神社の朱の鳥居を直前に見ただけに、緑青の色合いは神社全体を落ち着いた雰囲気に見せている。

三翁神社の名が示すように厳島神社に功績のあった以下の三人の翁を祀る神社。
佐伯鞍職
安芸国の豪族で海上交通の要衝であった廿日市市折敷畑に守護神として速谷神社、同じく海上交通の要であった厳島に守護神として厳島神社を建立したと伝わる
所翁
鞍職が部下を伴い大野瀬戸で遊猟のおりに、西から紅の帆を掲げた船が来航し、その船の者が鞍職の部下に「お前は何者か」と尋ねると「私は所(この付近)の者です」と答えたといい、この部下を所翁という。
岩木翁
市杵島媛命が宮島に鎮座した時、五烏(神烏)が廿日市市上平良村に光臨し、岩礁の上留まって村の主であった岩木翁に神懸かりした為、10歩の土地を寄進して神鳥を祀る祠を建てた人物という。

三翁神社。
厳島神社の摂社で、切妻瓦葺の拝所と本殿域に三つの相殿があり、神域右には大きな楠の木が聳えています。
狛犬は見当たりませんが、社頭付近には多くの鹿がくつろいでいます。

社頭前の由緒は以下。
「創建時期は定かではなく、治承元年(1177)の「伊都岐島千僧供養日記」に比叡御社壇と記述があり、それが三翁神社と考えられ、明治以前は山王社と称されていた。
中央 佐伯鞍職(佐伯の翁)、安徳天皇、所 翁、岩木翁、二位尼、大綿津見神
左殿 大己貴神、猿田彦神
右殿 御子内侍、竹林内侍、徳寿内侍、各祖神、若宮
例祭日 10月23日」
とあります。
平清盛が近江の「日吉山王」を勧請したことから、明治以前まで「山王社」とも呼ばれていたようで、清盛自身もこちらの右殿(向かって左)に祀られていましたが、昭和29年(1954)に清盛神社が創建され、そちらに分祀されています。
そもそもなぜ多くの祭神が祀られることになったのか。
そこには明治政府の神仏分離令により、神仏習合の宮島にあった鎮守神がここに合祀され、三人の翁を始めとして実に多くの祭神が祀られていったようです。
なので御神徳も海上守護、交通安全、方災解除、開運招福、安産祈願、子育大願、商売繁盛、五穀豊穣、良縁祈願、起業成就、病気平癒、家運降昌等々とほゞ全ての御神徳が得られるようです。
また、地史によればこの神社は1591年(天正19)に再建されているようで、その後の補修や再建履歴については調べきれていません。
当時の姿を芸洲厳島図会などから探していますが、これを記載する段階では間に合わず、後日加筆する事にします。

web情報から伊都岐島千僧供養日記には「比叡社とあるのはこの神社のことで、その頃に創祀されたらしい。仁治2年(1241)の伊都岐島神官等申状」で「山王社一宇、一間二面」また「山王拝殿一宇、五間二面桧皮葺、同釘貫三十二間、同鳥居一基」と記されているそうで、明治11年(1878)に厳島神社摂社に列し、明治43年(1910)に水天宮神社を合祀し、依って安徳天皇、二位尼、大綿津見命が祭神に加えられたようです。

拝所から本殿域の眺め。
微妙に大きさの違う檜皮葺の見世棚造の社殿が三殿祀られ、写真左が右殿、右が左殿になります。

厳島神社摂社 三翁神社
創建 / 不明
祭神 / 佐伯鞍職他10神
所在地 / ​​広島県廿日市市宮島町大町1​
粟島神社から滝小路を北に​10分弱
参拝日 / 2023/03/03
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