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ホイットニー・ヒューストンは凄い人だと遅ればせながら知った

昨日『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』観ました。

とても良かった

ただ、私が彼女のことをあまりにも知らなくて、堪能しきれなかった感も多々。
いくつかの大ヒット曲と、映画『ボディガード』と、確かボビー・ブラウンと結婚してたよなぁ、くらいの知識レベルでしたから。

映画を観る前に、予習しとけばより楽しめたはずだ、と今更ながら思うのです。
ということで、誰に頼まれもしないのに、関連資料をまとめます。

映像3本と、Wikipedia1つ。
映像はどれも本編に再現シーンがあります。

①テレビ初登場(1983年)

緊張気味で弱々しい出だしからは信じられないほど、中盤から盛り上がり、堂々とした歌唱で締め括る。

②スーパーボウルでの国歌独唱(1991年)

「ザ・ヴォイス」の面目躍如。
「史上最高の国歌独唱」との評価も頷ける。
ここまで歌い上げられればさぞ気持ち良かろう。

③アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)でのパフォーマンス(1994年)

何だこれは。異次元。
演奏と歌唱の力比べが過ぎて、そこに大歓声も加わって、音割れしてるレベル。騒音一歩手前。
ホイットニー、自分の口から出す声+骨伝導音で、オケなんかろくに聴こえてないのではなかろうか。

④ホイットニー・ヒューストン(Wikipedia)
彼女の生い立ちや家族、亡くなった原因・時期・場所などは頭に入れておくべきだった。
そういうのを「ネタバレ」として敬遠する方も居られるでしょう。
しかし、本作は実在の人物を描いた、言わば伝記的な作品。
「どんな家庭に生まれ、どのように生涯を閉じるのか」を、ハラハラドキドキして待ち構える必要は、あんまりない。それよりは、他の点に注視したほうがずっと良い。
なので、まずプロフィールを押さえた上で観るのは、理想的な鑑賞態度だと思う。


飛び抜けた「才能」のある人が、周囲からのプレッシャーやストレスに苛まれ、挙句にアルコールやドラッグなどで身を持ち崩す、という話は、これまでも数限りなくある。
その中のいくつかを、誰もが目の当たりにしてきた。
ホイットニーの悲劇も、残念ながらその中の1つだ。
そして、恐らく今後も、そういう「悲劇」は繰り返されていくだろう。誠に残念ながら。極めて遺憾ながら。

ホイットニーは、己の才能を持て余し、孤立していった。
家族は、彼女の抱える深い孤独や哀しみに、真摯に向き合うことも、受け止めることも出来なかった。
両者を隔てたのは、両親が信仰したカトリックに根ざした古い「固定観念」と、ホイットニーが稼ぎ出した夥しい「カネ」。
ホイットニーの良き理解者は、赤の他人。長きにわたり公私におけるパートナーだったロビン・クロフォードと、彼女を見出したアリスタ・レコード社長クライヴ・デイヴィス。
何という皮肉。
映画を観る限りでは、そんな風に思えた。

新しい「才能」は、今後も確実に生まれていく。
「悲劇」は、単に悲しみとともに記憶されるだけでなく、新しい「才能」を受け入れ、育て、伸ばすためにあって欲しい。

Saving All My Love for You

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