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良い道具こそが、人を育てる。

 「名言、出た。」で終わる、某メーカのコマーシャルであるが、当メーカーのコマーシャルは、私のお気に入りに入っていて、最新版になるが、特に気にいっている。 「良い道具とは、」と言うフレーズに、私の課題を解決してくれるのか、と、思わず、観てしまうのである。
 年代と共に、座右の銘は替わって来るのだろうと思う。思い上がりの時代は「弘法、筆を選ばず。」が私の座右の銘でした。この時代は長く続きました。本note.comに投稿済ですが、今の私の座右は、「仏の半眼」であります。何時の時期から、替わってきたのだろう。まあ、そのことは、時期がくれば解決してくれるだろで、今日は、保留します。

 「良い道具こそが、人を育てる。」 この言葉が気になる。人間が、万物の長に治まれたのは、道具あってこそ、と常々思っている。原始時代の火の使用に始まり、数々の道具が人類の進化を促した。そして、今後も、道具の進化が、人類の進化に繋がると言っても、過言ではない。不変の道理だとも思っています。私の向上も、如何に道具が使えるかによって、大きく左右されると、思っています。私にとって、最も大切にしなければならない道具は、PCだと思っているのですが、高額なPCが良い道具なのか?。やはり、インプット、アウトプットに優れるものは、使えそうな気がする。どうも、私は、選択を誤ったのではと思っているのは、
 私は、好き嫌いの激しい性格です。どうしても嫌いなものには馴染めないところがあります。残念なのは、「アンチ、マイクロ」だったのです。そのことが、私の成長を妨げたのでは、と思うことがあるのです。

 良い道具とは、良い機器なのか、良いアプリなのか、良いOSなのか、色々な思いが、頭の中を駆け巡り、思わずコマーシャルに、見入ってしまっているのかも知れません。もし私がPCを使ってなければ、今の私は有ったのかと考えれば、PCは良い道具と思います。
 「良い道具こそが、人を育てる」納得できます。では良い道具があれば、それだけで、人は成長できるかと思う時、また、考えてしまいます。
 むかし私は、ガンファイトに夢中でした。今でも変わりませんが、「ガンマン」に憧れていました。同じ道具を持っても、此れほど違うのか、ということも、この時に思い知らされて、道具を使い切る、活かし切る、大切さを叩き込まれました。

 今、数台のPCを所有していますが、全て、使い切っていません。生意気に、ペンギン君を1匹、飼っていますが、コマンダーに憧れていた時代のなごりです。後は、アンチマイクロの成れの果です。ペンギン君が、ツンデレ、いや、ツンツンしてくるので、見せしめに(アンチマイクロの意地で)りんごちゃん押しと、あんどろいどタブレットの多頭飼育で、半死の子がおり、保護団体から、クレームが来たりして、などと反省しています。
 脱線してしまいました。今はクラウドの時代だと思っています。貧乏人がいつまで、寄生できるか解りませんが、なにとど、見捨てないで下さい、と願いつつ、そして如何に、良い仲間と、思いを共有して、仲間と共に、高いステージに辿り着けるか、頑張ります。痛くも痒くも失くなる前に・・・


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