見出し画像

価値観の違い!!

 この歳に成っても、価値観の違いを実感する事が、多々在ります。後期高齢者で、終活を考えなければならない歳であるが、親しい仲間との、楽しい集いに、思わず「あれ!」と眼を合わさないように、相手を観てしまう事がある。私も自分自身で、何時に成ったら枯れて、穏やかに、痛くも痒くも無くなってくるのだろうと、半ば期待を持って、自分自身を観察しているのだが、そんな思いとは裏腹に、まだまだ、ぎらぎらと自我が燃え盛っているのかも知れない。譲ろうとしない自分が、相手の顔と重なって見えるのである。

 テレビは、NHKのBS1が好きで、「光る君へ」を楽しみに観ています。よく、毛筆で美しい字を書くシーンが映し出されるが、この時代の人は、男女を問わず、毛筆の上手い人が、憧れの的に成っていたのだろうか?、などなど想像しています。今の時代も、字の上手い人は、何となく憧れてしまう、自分が居ます。私などは、字が美しくなくとも、と思う人でしたが、ワープロは、いち早く取り入れる方でした。ワープロから、時代も進み、今現在何がクールなのだろうと、考えるに、「価値観の共有」ではなどと思っています。

 第一にその価値観が、正しい方向へ、向っているものででなければ、成りません。今向っている方向が正しいのか、それは、神のみぞ知るでは許されないと思いますが、頭の痛い問題です。そして、その正しい方向を、どれだけ多くの仲間と共有出来るか、それが肝心な処だと思います。
私自身はリーダーとしての資質は、欠落して居ると思って居ます。でも、そのリーダー候補の人の、補助くらいは出来るだろうと思っていて、永い間、それらしき人に、出会えていないのは、私に運が無かった。或いは徳が無かった。のかと思っています。が、まだまだ、諦めては居ません。

 テレビの、BS1、「ワールドニュース」もよく観ています。この時代に、眼を疑う、戦闘破壊された画面を観るに、此れを望む「価値観は」何処にあるのだろうか?。この現実を望む「リーダー」は何処へ向って居るのだろうと、考え込んでしまいます。「価値観の相違」はそこまで進んで、しまうものなのでしょうか?。その事を考えると、私は今、本当に恵まれたところに居る事には、比べると、そう思います。時として、不平不満を、長々と垂れ流して居る私が、居ますが、これは私が幸運だったと言えると思っています。

 先日、友人の顔を、気づかれないように見直したのは、作表系プリントに
罫線入りまくりの表に、アベレージが必要以上に入らなければ、資料ではないと感じる感覚にびっくりしました。それをプリントアウトして押し付け配布、SDGは自分の子供に先送りが悲しかった。作表系はデーターベースに利用して欲しい。罫線はプリントインクの垂れ流しではないのか?。資料はWEB共有を試みなければ悲しい。近年、WEB共有を匂わせるアプリが増えつつ在るのは嬉しい。作表系をワープロに使うのは悲しい。世の中の会議資料が、全てWEB共有される日が、近い将来来ることを願って止まない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?