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ヘウムノ絶滅収容所

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ヘウムノ絶滅収容所に関する翻訳記事集です。
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2021年7月の記事一覧

ヘウムノ絶滅収容所(3d):死体処理に関する当時の文書

註:トップの写真は、こちらからのもので、キャプションは「ヘウムノ収容所への強制移送中に所持品を運ぶユダヤ人たち。ここに写っている人々のほとんどは、以前に中央ヨーロッパからウッチに強制送還された人々である。1942年1月から4月にかけてのポーランド・ウッチ」とある。 今回は前回再訳した記事の文献資料編ですので、冒頭で話すことは特にありません。41件の文書資料です。前回記事と合わせて読まないと何のことか分からないと思いますので、ご注意願います。 ▼翻訳開始▼ ドイツ文書に見

ヘウムノ絶滅収容所(4):略奪品の選別ーパヴャニツェ収容所

註:トップの写真は、こちらからです。キャプションは「「Gehsperre(外出禁止)」行動の際、ヘウムノへの強制移送前に子供や病人、老人が収容されていたゲットーの中央監獄で、フェンス越しに子供と別れを惜しむ家族。1942年9月、ポーランドのウッチ」とあります。 今回は、ヘウムノにおける「再定住」したユダヤ人から奪った荷物に関する話です。ソ連地域の現場での銃撃等による虐殺でも、もちろん絶滅収容所でも、この奪い取った荷物(髪の毛を切ったり金歯抜いたりも含まれる)を仕分けていく作

ヘウムノ絶滅収容所(5):運転資金

註:トップの写真は、こちらからです。キャプションはこうあります。「ウッチ(リッツマンシュタット)のゲットーから大量の人々がチェルムノ(クルムホフ)死の収容所に送還された。1942年9月1~2日、ゲシュタポと警察は、ゲットー内のすべての病院から、400人の子供を含む2,000人の患者を暴力的に連れ去った。同時に、Jüdischer Ordnungsdienst(ユダヤ人ゲットー警察)とゾンダーコマンド(ゲットー政治警察の一種)が通りを封鎖した。病院が避難した後、ナチスはさらに2

ヘウムノ絶滅収容所(7):ヘウムノでの使用車両・燃料など

註:上の写真はWikipediaにあったものですが、ヴァルトブリュッケン駅まで運ばれたユダヤ人たちがポビエルチェで下されて、トラックに乗り換えているところの写真だと思われます。 今回はちょっと退屈かもですが、ヘウムノで使われていた車や燃料に関する文書資料からの解説記事になります。これはこれで、実際に活動は行われており、燃料の部分もしっかり当時の資料に記録が残されていて、ヘウムノではきちんとそれなりに活動が実施されていた証拠になってるというわけです。 ヘウムノ収容所は、特別