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就学児健診

就学児健診って、ありますよね。
アレって市町村に健診を実施する義務はあるけれど…
受診する側には義務は課せられていないんですね!
最近、ようやく知りました。
小学校入学前の私は、コレ…この健診で気持ち良いくらい見事に撥ね付けられて
『養護学校(現:特別支援学校)が適当』と判断されました。
知力、体力、運動能力などが…6歳児平均に満たない場合…普通校の入学を断念するように言われてしまいます。
私の親…とくに母は、この通達に頑なに反発。
周囲の反対をよそに、私を普通校に入れます。
ただでさえ当時は、障害児が普通校に通学する事例がまだまだ少なかった中で…
学校側の合意の得られない…
当然、私の母の強引さが功を奏するはずもなく…
ことある事に学校とギクシャクしてました。
何より『人から教わってものを覚える』ということ自体が、根っから、欠片も好きではなかった私が、なおのこと課題の多い普通校で上手くやれるはずもなく…
今こうやって思い出しても、その時の吐き気が蘇るくらい、授業というものが嫌いでした。
優しい友だちも出来たけれど、それでも、健常者同士の友だちと話す時と、私と話す時とは態度が違い…どっかお客さん対応だったんだ。と思い知らされました。
小学校、中学校、最後に入った養護学校高等部…
学生時代に楽しい思い出はほぼありません!(断言)
しかし、『世の中は己を真ん中にしては動かない』『誰もお前なんか本気で相手にはしない』
『学校はお前のための遊園地ではない』
ということを経験的に知れたのは、とてもよかったと思います。
学校は決して居心地の良い場所ではない。
居場所は自分で確保して、居心地も自分で改善していかなければ…誰も助けてくれない。
ってことが学べました。
高校になって養護学校に編入してから思ったのは、
ずっと養護学校だけで過ごした子どもは、たとえ知力や発達に遅れはなくても…
自力で決める力が弱い子がたくさんいる。
まず自分がどうしたいか。どうするかを決められない。選べない。という子が何人もいるんだな。ということでした
必要なら、先生や親に嘘もつくのだ。ということさえやったことがない子がいた事が驚きでした。
生活の場で鍛えられていないから、狡賢さがまるでないんです。全部が親や大人の言いなり。されるなり。
見ていて、とてもかわいそうでした。
私の経験則で言うならば、勉強ができる出来ない、障害あるなしに関わらず…
全ての子どもが、少なくとも同じ場で学ぶべきです。
これは、
『どの子も右へ習えで同じことができなくてはいけない』
という意味の、結果の平等ではないんです。
障害のある子、障害のない子、勉強が出来る子できない子、いろんな子どもがいることで、
しんどいけれど、必ず生きる力が身につきます。
頭の悪い先生をだまくらかす知恵もつきます。
私が求めているのは『機会の平等 』
ということになります。
それに…先生も親も、忙しいことを理由に、必ずしも子どものためにばかりは動いてはくれません。
大半の親や先生が考えることは…いかに手間暇をかけず、子育てや教育で手抜きができるか…という事なのです。
『時間をかけて、じっくり伝える』
なんて余裕はないんです。
親は先生に丸投げ、先生は親に丸投げ。
いかに自分の手間を減らして、
形だけ、上辺だけで…
いかに『頑張っている先生っぽく』『真面目な親っぽく』振る舞うか?
ということだけに夢中になります。
具体的な成果より『ヤッテマスヨ感』が大切です。
大人があてにできない場合には、子どもは…かすかでも、ほんの少しでも、自分の身の振り方を自分で決めれた方がいいんです。
あれがしたいこれがしたい。これが食べたい。
それがどんなに弱い信号でも、自分から意志を出すことが大事です。
一旦、子ども側から信号を出せば、あとは、その信号を正しく読み取れなかった大人の責任です。
普段、子どもの世話がめんどくさいと思っているようなダメな大人でも、泣きわめいている子どもをずっと無視し続ければ、さすがに大人の資質が問われます。
大人の理屈を曲げさせるには、とにかく喚いたもん勝ちです。
ダメな大人のすることに、いちいち子どもが泣き寝入りしてはいけない。
正しく泣き喚く力を身につけさせるためには、どの子も同じ学校で学ばせましょう。
6歳児平均の力がないとされる子は…養護学校(特別支援学校)を勧められる訳ですが…
例えば、年齢は6歳でも、頭の中は0歳という子がいたとします。
そういう子を…
はい、キミは普通校無理です。
と、単純にそうやって弾き出すだけでなく、いっそ乳幼児教育の経験のある人まで小学校に呼んで、1歳児並、2歳児並…と、その子なりのやり方で、やれることをゆっくり伸ばすということは出来ないもんでしょうか?
小学校なんだから、能力が小学生のレベルに達しなければ入れない。と、バッサリ切り捨ててしまうんでなく、一応、小学校入学の年齢に達したならば、どんな子も受け入れる。
そのうえで、伸びしろを増やす。
そんな学校であるべきです。
障害がなかったとしても、20歳までに、20歳に相応しい学力知力をちゃんと身につけられる人は、どれだけいますか?
障害が無いと言われて普通校に入ったとしても、やっぱり知力や学力が低いまんま成長する人はいます。
それならどうして、障害のある子どもは普通校で学んではいけないんでしょうか?
20歳までに習ったことをちゃんと覚えている人が、どれだけいますか?
ちゃんと自分なりに、出来ないことからは逃げ回り、ちゃっかり人任せにしつつ、アホがバレないように生きていくでしょ?
ついでに言うなら、ちゃんとした学校生活を送れないまんま大人になる人を、社会の中でフォローする仕組みが、どっかに必要だと思います。
だって、学校の先生からして、人間としてダメな人、たくさんいますよ?
であるなら、20年かけて小学校6年間の勉強をやっと終えるような人がいてもいい。
どんな人も、教育によって持てる力を最大級にまで引き出して生きる権利があります。
仮に、6歳まで知力が伸ばせる余地があるのに、
3歳までのことしか教われない。
としたら、それは不幸です。
やるだけのことを全部やって、それでも出来ないことがあれば、あとは周りを頼ればいい。
学ばせる前から学びの制限をしてしまうのは、大人の傲慢であり怠慢です。
学び方は人それぞれ。学ぶ速さも人それぞれ。
多様な学びが許される社会であって欲しいです。

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