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選んだ道を精一杯に

今はもう、いちいちそういうことを言ってくる人は、私の周りには居なくなりましたが…今の歳(46歳)の半分くらい…
手動車いす中心の外出から、電動車いすに切り替えたくらいの頃。実家を離れて自立生活を始めたばかりの頃は…
『どうして電動車いすなんかに乗るの?』と、みんなに尋ねられたものでした。
曰く、十分に腕の力があるのにもったいない。筋肉を使わなければ、衰えてしまう。
若いうちから楽をするな…等々。
そういう時には…
『いやあ、怠け者なんで…』『楽にお出かけしたいから』
と答えていたのですが…だいたいどの人からも『それじゃいけない(向上心がない)』とか『もっと歳をとってから(電動車いす)にしなさい 』
とか、呆れられてしまったものでした。
実際、私の頭の中は…もう少し込み入った事情まで考えていたし…
手動車いすから電動車いすへの転換は、20代の若いうちだけでなく、30代、40代と年齢を重ねた後のことまで…その頃(22~23歳当時)なりに、自分の将来を見据えての決断だったのですが、
『出来るうちはできることを精一杯やりなさい』と言ってくる人たちには、私の真意は伝わらないと判断し、言いたいことも皆まで語らずにいたのです。
手動車いすから電動車いすに乗り換えた理由の中で最大のものは、なんと言っても『楽だから』なのです。
いくら腕の力がそれなりにある場合でも、長く外出し、ずっと漕ぎ続ければ疲れます。
座りっぱなしだと腰や背中も痛くなります。
誰かに自分の車いすを押してもらう時は、その誰かが…『疲れていないか、辛くはないか』と言うことがどうしても気になり、気を遣います。
結果、自分の身体もしんどいし、支援者にも負担をかけてしまうから、不要不急のお出かけを控えようか…という選択をしてしまいがちなのです。
それに…車いすを人に押してもらう場合、押す人のやりかたにも、技量の差、押す人それぞれのクセなどがあり、必ずしも乗り手の私が身を委ねて安心できるとは限らないのです。
もちろん…私の外出をサポートしようとしてくださるその気持ちには、いつも感謝するのですが…相性などもあり難しいのです。
電動車いすに乗ってみて初めて自覚したのはとても大きな『解放感』でした。
漕がなくても進む。楽だ。押す人に気兼ねしなくていい。自由だ。
座りっぱなしで疲れると言う点は手動電動、どちらの車いすでもなくなりませんが、支援者に気兼ねしなくていい。漕がなくてもいいという安心が得られたことで
外出本来の目的、買い物や散歩、勉強や、人と会うということに、神経を集中し、外出中の時間をより有意義に過ごすことができるようになりました。
結果、外出時間も長くなり、外出距離も延びました。
付き添い…支援者と一緒に出かける時も、移動…車いすを押す…ということをさせなくて済む分、外出時の他の介助(食事やトイレ、路上の安全確認など)に専念してもらえます。
『出来るうちに出来ることを精一杯』
…身体を使って車いすを漕ぐことは減ったけれど、それ以上に、たくさんの経験を積み、様々な見識を得ることができています。
手動車いすに乗ろうが電動車いすに乗ろうが『精一杯』に変わりはないんです。
確かに…私が太り始めたのは電動車いすに乗ったからでしょうし、一番身体を動かしていた頃に比べれば、手動の車いすを漕ぐ力は半分くらいに落ちています。
しかし、若い頃から変わらずにずっと身体を酷使し続けていれば…今のような安定した状態で、毎日を過ごせていたかは分かりません。
もう少し歳をとってから電動車いすに乗るにしても、ものの覚えが悪くなり、上達に時間がかかっていたかも…
手動車いす、電動車いす。どちらにも一長一短あります。『これ一台あれば安心』なんてことはなく、出来ればどちらにも乗れるようになっておいた方がよいです。
そうすれば外出の選択肢に幅が出ます。
『楽をする』ということと『精一杯やる』ということは、決して矛盾しないのです。
できれば若いうちから、障害がなくても…手動や電動、様々な移動機器に触れる人が増えて欲しいと願っています。
『仕方ないから乗る』『衰えてどうにもならなくなってから乗る』のではなく、早いうちから馴染んだ方が、将来に余裕が出ます。
より豊かに人生を送ることが出来るように思うのです。

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