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ハイパーアベイラビリティを実現する自己調整文書

アラン・ケイ勉強会が某所で行われるので、普段は表にしないことを書きます。10-20年先のホラトークを書こうかなと思いました。

ハイパーアベイラビリティを日本語にすると超可用性で、従来に比べて極めて幅広い領域に可用性をもたらす能力を指します。自己調整文書とは読み手に応じて表現を自分自身で調整する文章です。どちらも私が適当につけた造語です。

多様な状態をとる人間を中心に置いた情報通信メディアがこれから20年間で大きく発展すると予測しています。このとき、ハイパーアベイラビリティを実現する自己調整文書が重要技術になると思います。一言で、すごい翻訳機です。

以下の順で紹介します。
・多様な状態をとる人間を中心に置いた情報通信メディアとは何か
・ハイパーアベイラビリティ(超可用性)とは、情報の流通効率の最大化
・自己調整文書とはすごい翻訳機
・自己調整文書は社会的リーダブルコストを最小にする
・ハイパーアベイラビリティを実現する自己調整文書が実現した世界


多様な状態をとる人間を中心に置いた情報通信メディアとは何か

人は様々な状態を持ちます。

 ・子供と大人
 ・日本人とアメリカ人
 ・日本語のみを使う人と、日本語と英語を使う人
 ・非専門家と専門家
 ・上司と部下
 ・元気がある人、元気が無い人

このように人は同一人物であっても異なる状態になります。リストの下の方がより動的です。

従来のメディアでは、人々が自分の状態に合わせてメディアに合わせています。簡単すぎればもっと専門的なメディアを選ばなければなりませんし、難しければもっと簡単なメディアをわざわざ選択する作業をしています。

つまりメディアに人が合わせているのです。

多様な状態をとる人間を中心に置いた情報通信メディアとは、人に合わせるメディアです。



ハイパーアベイラビリティ(超可用性)とは、情報の流通効率の最大化

ハイパーアベイラビリティを考えるとき私はwikipediaの欠点をよく思い出します。

ウィキペディアは、信頼されるフリーなオンライン百科事典、それも質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト、およびその成果である百科事典本体です。

wikipediaは質と量ともに最大かも知れませんが、可用性の観点では非常に残念です。なぜなら、小学1年生には難しすぎますが、専門家にとってはあまりに物足りません。

これらは、メディアを中心とした場所では多くの場所で起きています。

たとえば学校の集団教育は、半分の学生にとっては簡単すぎで、半分の学生には難しすぎます。この問題を解決するのに学校機関は、学校のグレードと生徒の成績を約三年単位でマッチングさせます。あまりに適応頻度の少ない機構です。飛び級という制度もありますが、利用コストが大きすぎます。このように大きなムダが生じており、子供の才能に対して社会構造的にブレーキを踏ませている状態です。

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教育の理想とは生徒の一人一人に合わせた学習支援の提供です。人力ならワンツーマンの家庭教師です。



ハイパーアベイラビリティという能力を持ったメディアはどうなるか

ハイパーアベイラビリティという能力をwikipediaがもったら、読み手に合わせて情報を動的に調整することが考えられます。小学生がアクセスすれば、小学生が用いる常用漢字や、ルビを用いた情報が提供されます。専門家が同一情報にアクセスしたら、最新の論文やニュース、自社情報や競合の情報、共同研究可能性の高い専門家の連絡先が表示されるでしょう。

教育に当てはめると、読み手の理解力や、理解している概念に応じて難易度調整を行うようになるでしょう。子ども達は効率よく新たな能力が身につくようになります。

つまりハイパーアベイラビリティは、情報の受益者の現在のアウトカムの享受状態を起点にフィードバックを行い、最大のアウトカムを実現する能力です。情報の流通効率を最大限にまで高めることになります。既存のローアベイラビリティは知識の流通において負のフィードバックを引き起こしています。

このハイパーアベイラビリティという能力を実現するのが自己調整文章です。


自己調整文書とはすごい翻訳機

一言ですごい翻訳機です。翻訳とはそもそも何かを考えると、人間の状態に合わせた情報の再変換技術といえます。日英の翻訳であれば、日本語と英語という異なる情報の状態を埋めることです。

翻訳を般化させてみましょう。読み手に合わせて翻訳されるということです。

たとえば「マンガで分かる○○」といった企画は、読者の専門知識レベルに合わせた翻訳です。すごい翻訳機とは専門家でなければ理解できないことを小学生がすらすら読めるようになる翻訳を実現する機械になります。

つまり自己調整文書とは、読み手に合わせて自分自身で調節する文章です。自己調整情報でもかまいません。情報そのものに情報の出力の現れ方を制御する機構が備わっているといえます。



自己調整文書は社会的リーダブルコストを最小にする

私が社会的リーダブルコストと呼んでいる費用があります。文章を他人がすらすら読めるようにするために費やしているコストです。社会的価値化変換費用とか、情報の流通可能性コストと呼んだりもしています。

アイデアを思いついたのは10分なのに、それを人が分かるように説明するのに300分(5時間)かかってしまったことなどあると思います。

社会的リーダブルコストの一例

○○○です。
○○○○○です。
○○○○です。

「です」が続くと単調になるので調子を変えましょう。

調子を整えるのはレトリックであり、自分自身の理解は深まらないムダなコストです。他の人に飽きさせないために仕方なく支払っている社会的価値変換化コストです。

仕事には直接関係ないのにスーツを着込んで出社するコストと同種です。知識の発展において負のフィードバックを引き起こしています。

私たちは人に考えを伝えるとき、非常に多くの社会的リーダブルコストを支払っています。私は講演などでは20%くらいしか伝えられておらず、本当に大切なところは分かる人にしか伝えていなかったりします。もっと気にせず話せたらいいのになあと思います。

自己調整文書の技術が実現すれば、より自分の考えの探求にコストを支払うことができるでしょう。


聞き手がアラン・ケイや落合陽一ならいいのに

(名前は、自分の分野の専門家を入れる)

分かってる人なら話が早いという話です。

聞き手がアラン・ケイや落合陽一ならリーダブルコスト最小になりそうだけど、技術は分からないのにお金だけ持っている人にアプローチするにはとんでもないリーダブルコストを支払わなければならないという問題があります。

このようなことが至るところにあります。もしアイデアマンが社会的リーダブルコストを気にせず書けるとしたら、その才能の発揮は生涯で数十倍にもなるでしょう。ポール・エルディジュのような才能が至る所で現れるかもしれません。

自己調整文書に近い身近な事例が出はじめています。自分の文章を分かりやすくするために再翻訳変換をする行為です。

自分の文章をDeepLに放り込む
日->英->日
すると元の文章より分かりやすくなる。


ハイパーアベイラビリティを実現する自己調整文書が実現した世界

最後に実現して世界を想像して終わりにしたいと思います。

怖いお兄さん「ってんぞコラー!! ああ?」

翻訳「どうか私を大切にしていただけませんか?」

こんな世界です。


副次的には、研究量や情報の受け手のアウトカムにおいてカンブリア紀のような爆発が起こるのではないでしょうか。早く実現されるといいなー。

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