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立てなくなっても明日は来た

最後は「寝なければ明日は来ない」と思っていたせいか、二時間くらい寝ては起きてを繰り返し、毎朝カフェインをがぶ飲みして煙草を吸い、眠気と動悸と戦いながら電車に乗っていた。

「このままだと本当に自殺しそうだから、時間を開けるから飯に行こう」と友人と日高屋へ行き、「病院へ行ったほうがいい。行くまでは二度と連絡してこないでくれ」と強く言われ、やっと病院へ行った。
本当は初診では薬は出さないが症状が深刻なので今日から投薬します、と先生から悲しそうな顔で伝えられた。ぼろぼろ泣くことしかできなかったけど「ついにか」と思ってしまった自分にまた涙が出た。適応障害だった。

その頃には何も無くても突然泣いていたし、ずっと心臓あたりが痛くて吐き気が止まらなくなり、そして記憶力が極端に落ち、活字が頭に全く入らなくなっていた。
それから逃げるように、アルコール量が増えていった。仕事終わりにコンビニへ直行して一缶。電車から降りたら、家まで歩くためにロング缶を二本。そして家でレモンサワーを作って一杯。平日のルーティンだった。

資料を一文字ずつ指で追っかけて読んでも、頭に入ってこないし、ページをめくったらもう内容が分からなくなってしまう。
それでも職業柄書き続けなければならないので、読めない・理解できないことのパニックと戦いながらひたすらにキーボードを叩いた。〆切はことごとく落としかけてはギリギリで間に合わせた。

休職しましょうとなってから、一ヶ月目は地獄だった。ぷつんと糸が切れ、ほとんど寝込んで動けなかった。食欲もなく、何もできず、薬だけが増えていった。
だんだんと運動をしたり、行動療法をしたりして、今は少しずつなだらかになりつつあるが、唐突な動悸や感情の爆発、急に泣き出してしまうこともある。
薬を飲み忘れた日は途端にだめだ。急に良くなることなんてひとつもない。

「絶対に治るから」と先生は言ってくれたけど、その日がいつになるかは誰もわからない。
ただ昨日より良かったか悪かったか、先週よりも、先月よりもどうか、少しずつ振り返って比べるしかないのだろう。

それでも明日はやってくるし、目覚めて朝日を見たときに「生きてて良かったな」と思えるくらいには立ち上がれている今日この頃だ。

いただいたお金は、美味しいお酒と新しい本に使い、書くためのエネルギーにしたいと思います。