リオにとってのカツセマサヒコ

自己紹介にも書いた通り、カツセマサヒコさんという人によって、私は日本語がすきになりました。

出会いはきっと、4年程前。詳しいことは覚えていない。あるとき、彼のツイートに出会い、衝撃を受けた。こんな人を探していた。こんな言葉に出会いたかった。暇な高校生活、自分の有り余る時間を、こんな日本語で埋めたかった。活字中毒の私は夢中でカツセさんのツイートを読み漁った。

それからずっと、彼の言葉は、私の指標だった。彼が良いと言ったから、読んだ本もあった、聞いた曲もあった、見た映画もあった。彼が好きだと言ったから、撮った写真があった、見た景色があった。ただ、その行為をもってして、私はカツセさんの感性に近付きたかった。そうしたら、あの素敵な言葉を私も使いこなせるのではと思った。

相変わらず、私は今でもカツセさんが好きだ。最近は、書く仕事よりも編集の仕事の方が多くなっていても、arでふざけ倒していたとしても。根本的にカツセさんという人間の紡ぐ言葉と暖かい語調がだいすきだ。

溢れるそのすきだ!という気持ちをカツセさんにぶつけたとき、まあ何回かに1回は返事が来る。LINE@という便利な機能をもってして私はカツセさんに直接気持ちを伝えることが出来る。重いだろうから、あまり言わないようにはしているが、たまに言った「すき」に返事が来るというのはかなり嬉しい。またそこですきになる。まるで、アイドルとオタクのように感じる。彼のその言動は一種のファンサービスだと思うからだ。根っからのオタク気質の私は、それがとてつもなく快感なのである。気持ち悪いね、ごめんなさい。

そう思いつつも、貰った言葉は忘れられない。カツセさんからの「ありがとう」や、「嬉しい」を、何度読み返していることだろう。1度、カツセさんが不定期であげている「今日のLINEアット」に載ったことがある。(内容は秘密。かなり大事な思い出なので墓場まで持っていくつもり)そんなこともあって、私は、カツセさんのトリコになって、早数年が経つのである。

さて、すきなものこそ上手なれ、と言うが、私はどうだろう。カツセさんに憧れて書くことを意識するようになったが、果たして上手になったのだろうか。すきになったのは間違いない。色んなことを書くことが、楽しくて仕方なくなった。だからnoteだって下書きが溜まって来ている。(メイ、プレッシャーなってたらごめんね)大学生活でレポートを楽しめているのも、間違いなくカツセさんのおかげ。私にとって好きなことである日本語に触れること、はカツセさんの影響がかなり大きいのだということを改めて書いておく。くどいようだが、上手ではなくても、書くことが好きだ。

カツセさんを好きになってから。

一言一句に魅了される楽しさを知った。空模様や、気候の変化、僅かに感じる日本の四季に心踊った。辛い時は泣いていいことを教わった。悲しい時に頼れる人の有り難さに気付いた。社会の厳しさに胸が痛くなり、でもそこの輝きに憧れるようになった。愛しい人の全てを愛しいと思えるようになった。

これから先、私は幾度もカツセさんに救われるのだと思う。今までそうであったように、一緒に笑って、楽しんで。時に泣いたり、慰められることもあるだろう。その度に、やはり、カツセマサヒコというコンテンツがだいすきだ!と心の底から思うのだろう。コンテンツ、という言い方で伝わるかはわからないが、カツセマサヒコさんの、書く文章、撮る写真、そのすべての感性が好きだ、という話。どうか少しでも長く、カツセマサヒコさんがこの世界に居てくれますように!!!願いを込めて。


#カツセマサヒコ #タイムラインの王子様

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