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なぜ、「経営=人」であることを見抜けず、「経営=やること」であるという思い込みから脱却できないか。

したくないからである。ダメな会社の経営者、経営陣、とにかくその企業のトップ数人、社内で最も大きな人事権を持つ、トップの数人が。

彼らは「経営=人」であることを見抜けないというより、それに気づかないふりをしていたいのだ。「経営=やること」であるという思い込みから脱却できないというより、そうでないと困るのだ。それゆえ、そうであるという前提で経営をする。「やること」を指示する。あるいは「やること」を考えさせる。

彼らにとっては、王権神授説のごとくあってほしいのだ。その地位に自らがいて、人へ指示を出し、人を管理し、人を評価する立場に立っていることについて、その資格は何によるものなのか、いかなる実力に裏打ちされているのか、それはこれといった理由などないが、それでよいし、疑ってはいけない、そう信じ込ませることにより、自らの地位を保っているのである。

ゆえに、会社が不調のとき、本来なら会社のトップ数名が悪いのであるが、そうではないとするのである。自分達はきちんと指示を出している。その通りにやらない社員たちが悪い、となるのだ。そしてダメ会社の社員はそれを鵜呑みにするのである。

よく、彼らトップ数人を見てみよう。会社の不調時において、その回復のためにいかなる対策を講じているのか。自らどう動いているのか。何もしていないだろう。だから会社がダメになるのであり、そうした経営陣をまるごと入れ替えないと会社は建て直せないのだ。本当ならば。

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