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私の内側にある美術 No.7 ジョルジュ・ルオー

ジョルジュ・ルオー(1871年‐1958年)
フランスの画家。長年のマチエールの研究などを基礎として、宗教的なモチーフを独自の表現で描いた。その表現は、古典的な宗教画と格別をなすものである。彼の師であるギュスターブ・モローの死以後、その表現方法はルオー作品の代表的な特徴として確立した。14歳から20歳にかけて、ルオーは絵ガラスの職人として従事し、その経験が彼の絵画に影響を与えていると言われている。また、晩年期には、『ミゼレーレ』『受難』『悪の華』『ユビュ親爺の再掲』などの版画作品を残している。


「老いた王」カーネギー美術館蔵

造形と色彩、あるいはディテールとマチエールが、まさに実存的な態度でカンバスを支配している。もはや、ルオーの絵に長たらしい説明は不要である。「意味」や「目的」を超越した「精神」が画面に滲み出している。


「辱められるキリスト」MOMA蔵

正直なところ、私はルオーの絵画に込められた宗教的な意味や宗教的モチーフの何たるかをよく知らない。しかし、ルオーの絵画はそうした宗教的理解を持たない私にでさえ、強烈な印象をもたらすのはなぜか。それは、ルオーの絵には非言語的な視覚的訴えを読み取れるからである。言葉による説明抜きに絵そのものが自立している。とりわけ、この類の絵画経験は私の内部に深く浸透する。実存的な絵画の立ち振舞こそ、私に強烈なショックを与えるのである。

「裸婦」個人蔵


「青ひげ」個人蔵


「夢想家」パリ・ポンピドゥー・センター蔵

ルオーの光の扱い方がレンブラントやフェルメールのそれと異なるのは、前者は「発光体」であり、後者は「反射体」である、と整理すると個人的には理解が深まる。
レンブラントやフェルメールが物体や空間に反射する光を主題としたのに対して、問題のルオーは、モチーフの背景から光が透過してくるような、あるいはモチーフそのものがあたかも自ら発光しているかのような印象を受ける。そうした光の導き方が観衆から言葉を奪い、意識を視覚的状況に集中させるのだと思う。絵の内部から引き起こるような光の感覚を、私は、建築を志す者としてどうか忘れずにいたい。

最後にルオーの言葉の中で、個人的に最も共鳴したものを記したい。

 「過去」の恐るべき模作がある。崇高なるもの美しいもののうわべだけの形がある。そんなものは何ももたらしはしない。
 巨匠たちを愛するのはいいが、昔の人たちに衣装を借りるものではない、愛すれば愛するほど、別のやり方で行くべきだ。

ジョルジュ・ルオー(『カイエ・ダール』所載)


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