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私の内側にある美術 No.11 デイヴィッド・ホックニー

デイヴィッド・ホックニー(1937年‐)
イングランド北部出身の画家。60年に渡って、独自の視覚で世界を見つめ、その捉えた風景をあらゆる表現方法を通じて描写している。特にプールをモチーフとした光の描写が代表的である。また、1960年代にはポップアート運動に参加。現在は、フランスノルマンディーに移住し、iPadなどの最新のテクノロジーを用いながら、なお精力的な芸術活動に取り組んでいる。

「龍安寺の枯山水に坐る」
「大西洋航路TWA761便で眠るイアン」

私は、ホックニーの絵画よりかは、むしろ1980年代に発表されたフォトコラージュの一連の作品に魅せられている。彼のコラージュは、どこか建築的な雰囲気があり、はたまた、映像的な性格をも持ち合わせている。


「アンを描くイアン」
「英国大使館での昼食」
「文字あわせゲーム」

ホックニーのフォトコラージュは、セザンヌの絵画に似ている。時間的なズレを伴ういくつもの写真を合成することで、ひとつの平面世界に複数の多角的な視点をもたらしている。そこには、従来の写真に対する一種の批判性がある。写真の固定化した視点に対して、確かな「揺るぎ」や「振れ」が加算され、写真をその伝統的な枠組みから開放している。ホックニーのフォトコラージュにはすなわち、自由への渇望が現れているように思えるのである。


「運河と道」
「雪を見るグレゴリー」

ホックニーの映像的な写真構成のうちには、確かなエクリチュールを認めることができる。下手な映像は、ときにエクリチュールを失うが、ホックニーのそれはナラティブの巧妙なバランスに支えられて、作品が成立している。

実は私も、単なるコラージュの枠におさまらない写真を通じた造形のアイデアがある。ホックニーのものと比べて、やや建築的な性格を帯びたものである。現実の世界において、「建築」が実現しづらいこの時勢に、いかにして、字義を超えた「建築」が可能なのか、この半年間自問した結果でもある。

簡単に説明するとすれば、「劇中劇」ならぬ「写真中写真」にメタモルフォーゼを加え、環境に埋没させるような形式を取りたい。写真のなかに、建築的な操作を経て造形された写真の組織が入れ子構造のように存在する…といった具合である。しかし、現在、その構想のみが先走っている状態である。そのため、早急な実現化を今後の責務として自らに課したい。


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