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私の内側にある美術 No.9 ポール・ゴーギャン

ポール・ゴーギャン(1848年‐1903年)
フランスの画家。ポスト印象派。本格的に絵画の道へと進むまでの約20年間は、水夫や株式仲介人として生計を立てつつ、日曜画家として絵を描き続けていた。自らを野蛮人とみなし、安定した道を捨てた1883年以後は、やはり生活の困窮に苦しみながらも、各地を転々としながら、印象派を超える新しい絵画方法の確立のために、芸術世界へと投身した。エミール・ベルナールとの交流において、自らの画法「サンテティスム」を見出した。その後、タヒチに移動し、未開の文化に触れることで、より独自の安定した作風へと移行した。


「説教のあとの幻影あるいはヤコブと天使との闘い」スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵

色・線・面の扱い方が、のちの近代絵画の訪れを予告している。
ここには、エミール・ベルナールとの関わりの中で、編み出した画法「サンテティスム」(総合主義)が顕著に現れている。目に見える対象物と目に見えない概念や感情とを、色彩や構成によって、カンバスの上で総合する描写方法である。印象派の絵画には見られない独特な明確性が絵画の上に及んでいる。

具体的に観察していくと、樹木の幹が画面を対角線方向に二分割している。その構成は、日本の広重を思わせるものである。樹木の左下が現実の世界であり、樹木の右上が想像の世界として、カンバス上の機能が平面分割されている。また、シスターの配列が画面左辺と下辺を占有し、観者の視線を右斜め上に描かれた天使とヤコブの一点に集中させている。私たちは、平面的に描かれたシスターの一群に背後から参加することで、彼女らの意識が向かう先、すなわち、右上のコーナーに我々の視線も自然と導かれるれるようだ。
構成が、私たちの意識に展開を引き起こすのである。


「戯画的自画像」ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

太い輪郭線に分割された平塗りの色彩領域が、ここでもまた、近代絵画を予兆させる。印象派の絵には、この線の強さはほとんど見当たらない。私たちがゴーギャンのそれに目撃するのは、画家の意識を通じ、抽象化作用を経たあとの創造の世界である。画家が作り上げた創造の世界に、自分勝手な想像をめぐらせることは決して退屈なことではないだろう。


「食事あるいはバナナ」オルセー美術館蔵

意味ありげな静物の選択と配置。
静物の構成もまた、鑑賞者の想像をふくらませる解釈の余白をふんだんに含んでいる。


「未開の詩」ハーバード大学蔵

近代絵画がアフリカの未開文化と接近したように、ゴーギャンもまた、タヒチのなまなましい生活と信仰の文化に新たな絵画の誕生を求めた。画面左下の奇妙な動物と、仏教彫刻的な女のポーズがその試みを物語っている。


「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」ボストン美術館蔵

同時多発的に散りばめられた顔の表情と身体の姿勢、とりわけ、化け物のように描かれた奇妙な人物の混在は、のちのピカソの「アヴィニョンの娘たち」に連続する。
また、子供から大人まで、あらゆる人物の平面的同居が、絵画空間に時間の概念をもたらしている。画面右側から左側にかけて、およそ人生の奇跡が表現されていることは既知の点である。
果たしてゴーギャンは、彼自身がこの絵画に与えた命題「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に対して、明瞭な解答を見出しているだろうか。私の解釈としては、その解答はこの画面上には存在していないように思われる。あくまでもこの絵画は命題を問いかけるのみであって、その答えはカンバスの外側、つまり鑑賞者の内側の世界に形成されるものではないだろうか。


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