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信念対立を乗り越える、リングの外での関係作り


私たちの現実を振り返ると、家庭の中、学校、職場、社会、政治、国際的な場などで、様々な形の「信念対立」が見られます。

そして、その最も最たる形が戦争なのだと思います。人類は、10000年以上も戦いの歴史を繰り返してきており、だからこそ「自由の相互承認」と「一般意志」と言う原則を持った民主主義と言う概念が生まれてきたわけですが、まだまだ人間はこうした民主主義を体現するためには、時間が必要なようです。

しかし、思うのですが、時間をかけて、民主主義を理性的に学ぶだけでは、信念対立は解決できないのではないかと思うのです。

もちろん、理性的な次元で信念対立を解消する取り組みは必要だと思います。具体的には、人間の認識は、すべて、欲望や関心に基づいているので、お互いにどんな欲望や関心を持っているかを理解しあう事が重要で、そこから共通の関心を導き出し、お互いに合意のできる第3案を導き出すことが重要になってくる事は間違いないと思います。

しかし、物事は理性的に深いレベルで対話すれば解決すると言うほど単純ではないと思います。信念対立が起きている現場と言うのは、言ってみれば「リングの上での戦い」だと思います。すなわち、プロレスやボクシングのリングと同じように、一旦そのステージに上がってしまうと、チャンピオンや挑戦者と言う役割が既にあり、さらに周囲の観客の期待などもあるので、リングの上ではそうした枠組みの中で行動せざるをえないと言う限界性を持つわけです。そうした中で、戦わずに、お互いが違いを越えて信念対立を解決すると言うのは、非常に現実味がないと思います。

別の言い方をすれば、お互いに戦っている者同士が、お互いの心の奥にある欲望や関心を教えてくれといっても、なかなか腹を割って、そういう深い話ができないのではないでしょうか。そこでは、怒りなどのネガティブな感情がわき起こっている可能性が高いので、闇雲にリングの上でお互いに腹の中を見せる事を期待するのは絶望的なのではないでしょうか。

しかし、世界はリングの上だけで展開しているわけではなく、リングの外でも展開してるわけです。そのリングの外の世界で何が出来るかによって、リングの上でのコミニケーションの質も大きく変わってくるのではないでしょうか。

最近読んだ「ユーモアは最強の武器である」と言う本は、こうした問題に対して、非常にパワフルな示唆を投げかけていると思いました。

具体的な方法論などは、その本に譲りますが、私がその中でも注目したのは、国際政治の場における深刻な対立が、舞台の外での取り組みによって、大きく解決に向けて前進したと言うことでした。

具体的には、1998年のASEANのサミットにおいて、ミャンマーの軍事政権をめぐる問題について、アメリカとロシアが激しい対立をしていました。この両者の関係が悪化して最悪の事態に展開する可能性すらあり、油断のならない状況だったようです。

しかし、そうした事態を打開したのは、リングの外での取り組みだったのです。

ASEANでは、会議の夜に晩餐会が催され、そこで余興が各国の代表に求められると言うことが慣習としてあるそうです。

その中で、対立していたアメリカとロシアの代表が、なんとデュエットすると言う1幕があったと言うのです。

しかし、それは即興で行われたものではなく、事前に何度も何度もリハーサルを繰り返し、お互いが納得いくレベルになるまで頑張ったと言う事実があるのです(国際的な場で恥をかきたくない、やるんだったら徹底的にという意識があったのかもしれません)。

そして、アメリカとロシアの代表がデュエットした結果、大変な評判で、その中で2人の間に個人的な関係が構築され、お互いにレストランに行って食事をとる位の友人関係へと発展したと言うのです。

つまり、国際政治の舞台で期待される二大超大国の政治家と言う役割とは異なる、個人的なつながりが2人の間に生まれたのです。

そして、それが原動力となり、この問題の対立が激化することなく、解決に向けて大きく動き出したと言うのです。

ユーモアのパワー1


このように、信念対立が最も顕著な形で現れる政治の世界において、舞台の外で個人的なつながりを生み出すことによって、対立が解消へと大きく進んだと言うのは、非常に特筆すべき、それこそ驚くべきことではないかと思うのです。

ちなみに、過去のASEANの会議においては、国連事務総長を務めた潘基文氏はABBAのコスチュームでパフォーマンスを披露したり、最近のウクライナ問題で国際的に批判されているロシアのラブロフ氏もダースベイダーの格好して寸劇を披露したこともあったそうです。驚きです。

ユーモアのパワー2


まとめると、信念対立を乗り越えるためには、リングの上でいくら様々な高度な方法を使って、お互いの対立を解消しようと思っても、限界があるのではないか。リングに上がる前に、いかに個人的な関係を作り上げていくことが重要なのではないかと言うことです。さらには、その個人的な関係を作るためには、お互いの肩書や役割をとっぱらった次元にある個人的なレベルで、陽気さや驚きやユーモアが必要であると言うことです。そうすれば、信念対立を解決へと導く可能性が出てくるのではないかと言うことです。

もちろん、以上は仮説であり、舞台の外で陽気さやユーモアを示せれば、いつも必ず、個人的な関係が築かれたり、問題(信念対立)が解決すると断定することができません。

しかし、過去に実際にあった上記のような事例を踏まえる時、リングの上でのコミニケーションだけでなく、リングの外でのコミニケーションも非常に重要であると言う事は、一定の妥当性を持っているのではないでしょうか。そのことについて、より多くの合意が得られる可能性があるのではないかと考えるのです。

以上が、私の信念対立に対する私の考え方です。皆さんはどう思いますか。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

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