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今日インターステラーを体験したかも?! - 言語沼で祖父と再会した!

今日、ある本を読んでいたら、思いもかけず、これまで意識していなかった次元とつながって、思わず、感動の涙が出てきました。

何があったのかお話しします。

まず読んでいた本とは「言語沼」と言う本です。この本は、言語の本質を楽しく深く語った本であり、私は夢中で最後まで読んでしまったのです。

言語沼


その本の最後のあとがきのところで、「田」と言う漢字が目に飛び込んできたのです。その瞬間、私の頭の中をある詩がよぎりました。

それは、詩人であった祖父が書いた以下のような詩でした。かなり前の事なので、正確にその詩を再現することはできないのですが、可能な限り、記憶を辿って再現すると以下のようになります。

祖父の書いた詩


私は、子どもの頃、夏休みなどに祖父母の家に遊びに行ったときに、寝室の壁にこの詩がかけられていたのですが、これを思い出したのです。

いかがですか?

ちょっとユニークな詩だと思いませんか。カエルの鳴き声を、「たとたとたとたとたと」と表現していますが、それを田んぼの田を使って表現しているところに、面白さを感じませんか? つまり、田んぼにいるカエルを表現していると同時に、カエルの鳴き声も表現しており、芸術的•文学的な高度な「ダジャレ」表現とも言えるのではないでしょうか。

実は、私はここ1年ほどの間に、ダジャレの俳句や川柳を趣味としてよく書くようになっていました。なぜ、自分が、そんなダジャレのような俳句•川柳を書き続けているのか、全く言葉で説明ができずにいました。

ダジャ例
ダジャ例
ダジャ例

しかし、今回「言語沼」と言う本に出会い、この中で私たち日本人が普段無意識に使っている様々な表現の奥にある、言葉の本質にアプローチする世界に触れ、普段何気なく使っている言葉の背後の世界に広がる、深い叡智みたいなものをどっぷりと感じたのです。

そして、そうした無意識の世界に誘った本のあとがきに書かれていた「田」と言う1つの漢字が、さらに別次元へと私を誘ったのでした。具体的に言えば、この「田」と言う漢字が、私を一気に何十年も前の夏休みに見た祖父の詩へと誘ってくれたのでした。

この感覚は、映画「インターステラー」で、別の次元にいる父親が、 3次元の世界にいる娘に対して微細なサインを送り続けているシーンとシンクロしたのです。つまり、まるで、異次元にいる祖父が、この「田」と言う漢字を通して、私に何か大切なメッセージを送っているように感じたのです。

もちろん、それは哲学的にも科学的にも証明することはできないことですが、私の主観のレベルでは「そうに違いない」という強い確信が生まれたのです。

あっ、今思い出したのですが、そうした「田」に出会うための兆候は、1週間位前から始まっていました。それは、今回読んだ「言語沼」の著者である2人が放送している「ゆる言語学ラジオ」というpodcastの番組で、「た」についての解説をしていたのでした。このときの「た」は「よかった」とか、「張り付いた」のような動詞に着く「た」の説明だったのですが、今回いみじくも同じ音の「田」に触れたと言うのは、まさしく今回の体験への前兆とも言えたんだと今思えてきたのです。

もう一つ前兆を思い出しました。実は今月初めに義理の父親を亡くしたのですが、その父の声が深いところで私の中で何度も何度も蘇っており、こんな句も作ったのです。これも今思えば異次元からのメッセージを受け取る前兆だったのかもしれません。

話を元に戻すと、今回「田」から先ほどの祖父母の私に向けられたメッセージは、祖父はある次元に今でも存在していると言う事(それは文字通り、私の知っている祖父という形でなく、私が想像もつかないようなエネルギーみたいな存在として存在していると言うこと)を伝えており、さらには、私の川柳や俳句の活動を大いに後押ししている想いのようなものも含まれていたのではないかと感じるのです。

今回は、何か突拍子もないことを語っているようですが、私の中では大きな体験であったので、今回シェアさせていただきました。

ひょっとしたら、あなたも、気がついていないだけで、あなたの大切な亡くなった方が、何らかのサインをあなたに送り続けているのかもしれません。ぜひ微細なメッセージを発見してみてください。

野中恒宏

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