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平凡な私:1.幸せな道を

1月30日 昼頃

破水があり、陣痛も始まり、出産のために大きな大学病院内の産婦人科に母は居た。


陣痛の中、祖母と色んな話をしていると
「今日30日に生まれると、叔母と離婚した元夫と同じ誕生日になるから、この子は叔母からひどい仕打ちを受けるのでは?」
という話になったらしい。

そんな訳…となるが、うちの叔母なら有り得かねない話だった。

母と祖母、2人でお腹をさすり
「今日は生まれてこないほうがいいかもねー」
なんて冗談混じりで話していると、もうすぐ分娩室へという時に一旦産気が治まってしまったそう。


陣痛に耐えながらすぐには生まれないだろうとのことで、祖母、父は帰宅。
母はそのまま入院。
日付を跨ぎもうすぐ31日になるかなと言う頃、陣痛の中「もう生まれても大丈夫よー」とお腹をさすると、すぐに産気づいた。

そうして、31日の朝2時に私は生まれたそうだ。


しかし、生まれて直ぐに母親が抱くことも触ることも無く保育器へ。
診断された病名は新生児敗血症。
当時、新生児は3日後生きていれば奇跡だと言われる病気だったそうな。


持病持ちの母が、少し遠方ではあるが大きな病院の産婦人科で出産した為助かったと、私は何度も聞かされた。

そんな生まれたての私はなんとか生きてはいたものの、おへそから点滴を打ち、調子が良くなったり悪くなったりを繰り返す日々。

お医者さんに、母乳で育てるのが望ましいと言われた祖母が、先に退院した母に変わり、母が搾った母乳と幼い兄を連れて、電車で数駅先の病院まで運んでくれた。


おかげで、私は生きることができた。






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