見出し画像

【クソ野郎】

 クソ野郎なんです、勘違いさせていたらゴメンなさい。

 販売とか飲食店とか接客業とかに従事していたら、ましてやオーナーシェフだったり経営者だったり日本背負って世界に挑戦していたら、良い人間であること、善人であることを求められるよね、ジャイアンツの選手みたいな、ヒゲもピアスもダメみたいなね、品行方正とか気取っちゃってね、ガッカリだよ小笠原、けどそんなの薄っぺらくて嫌悪感
 例えば映画の『レオン』ならゲイリー・オールドマンが好き。ゲイリー・オールドマンのせいでモーガン・フリーマンの名前が出てこないことがたまにある。バットマンよりジョーカーが好きだし、あ、でもアイアンマンよりサノスが好きってことはない。
 昔から悪役の方が美学があってそれに真っ直ぐでそれでいて人間臭くて捻くれていて共感が持てるんだ。トニー・スタークはそういう意味ではどっちかというと性格的には悪役か、それはそれで納得。

 Lock, Stock and Two Smoking Barrelsのダメ野郎たちも愛すべきだし、Trainspottingのクソたちも愛すべきだ。音楽ならOASISのギャラガー兄弟に夢中だったし、知る限り彼らが真人間だった瞬間はない。

 演じなきゃならない場面があればもちろんどの面下げての善人ヅラで仕事はこなすけど、自分が善良で真っ当な善人だと思ったことは一度もない。子供と動物に好かれるから根は腐ってないのかなとも思うけど。

 それはでも誰に対してもという意味で、という注釈が必要かもしれない。自分の中では誰に対してでもどの場面でも正しい態度を取れる人間を善人としている。自分には性根の部分でそこにムラがあるから生まれついてのクソ野郎だという自覚。八方美人というよりは四方八方撃ちまくる機関銃。

 じゃあなぜ時として世のため人のため地元のためみたいな行動や言葉を吐くのかといえば、それはそういう気分だったからってぐらいのもんで、気まぐれとかそういうやつか、特に意味はない。そういう風に振る舞って着飾って得をしたいという気もない。
 なんなら、なんか良いこと言って良いことして良い奴みたいで、良い奴ぶってるなあいつって思われそうで嫌だな……とさえ思う。
 そしてそれを口に出してしまう。

 同世代のラップソングを聴きながらこれを書いているんだけど、このくらい気持ちよく自分を曝け出して表現できたら気持ち良いだろなとさえ思う。

 たまにクソ野郎フェロモンか何かが溢れて、もしくは言動の端々にそれが表れて、人にものすごく嫌われることがあるけど、基本的にその相手に興味がないから、けど負けず嫌いだから嫌われたら負けじと嫌うし、興味がないからたんたんととことんやってしまう。
 結局損するのそっちなのになと冷めた気分、それでまた醒めた気分

 それでじゃあ何が言いたいかというと、自分の正義を信じて疑わない厄介で真っ当な善人や、善人ズラして、もしくは善人だと信じ込んで悦に浸ってる自称善人たちより、自分がクソ野郎だと自覚してそこでジタバタ足掻いてる奴らの方がよっぽどマシってこと。
 戦争は基本的に正義の押し付け合いだしね。

 自分がクソ野郎という自覚があるこそ、変わらなきゃとも思うし、変えなきゃとも思うんだ。
 あー良い人って呼ばれたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?