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【七転び八起きの番外編】

【七転び八起き】マガジン

 JAPAN PIZZA EXPOに初出場したときはラバー部門という部門で、練習用のゴム生地を使用してパフォーマンスする部門だった。
 2度目のチャレンジで初めて本物の生地でやる部門に挑戦して、結果は4位だったか5位だったか。その頃は大会用の生地のレシピもなにも知らなかったから、本番のみ本生地でパフォーマンスして、それ以外は全部ラバーで練習していた、アホである。

 3度目の出場時には白いマスクをしていたと思う。それを迷走と思うか開花と思うかは自分しだいで、わりと個人的には気に入っていたので開花の方。
 そして4度目はたしか主催者側の都合で中止になり、翌年に持ち越された。

 JAPAN PIZZA EXPOにはスポンサーが付いていて、そのスポンサー企業から何人も選手が出場し、いつもスポンサー企業の選手が優勝していたから、北海道からポツンとひとり出場している自分の番は一生回ってこないんじゃなかと思っていた。
 主催者はラスベガス大会での優勝歴がある人なんだけど、みんなほとんど主催者の弟子だったり教え子みたいなのばっかで、外様的なのは自分ひとりだったこともあり、この状況をひっくり返すほどのパフォーマンスなんて、出来るものなのかとね、疑っていたよ。

 30歳を超えてからやり始めたピザアクロバット……派手な技もギリギリ身体能力でカバーはできていたけど、それも年々キツくなっていくから、空手の正拳突きを極めるみたいな……そんな練習を繰り返して、そういうスタイルのパフォーマンスを磨くことにした。

 5度目の挑戦、運が良かったのはまず選曲だった。
 その頃流行っていたマーク・ロンソンとブルーノ・マーズのアップタウンファンクを聴いた瞬間にこれだと思った。音ハメもしやすいしノリも良いしこれはもう決まり。
 あとはパフォーマンスの構成なんだけど、曲があまりに好きだったのでテンポを変えたくなかったからそのままのテンポで組み立てた結果、スピード感のあるパフォーマンスは捨てて、より大袈裟で演技的なパフォーマンスに仕上がった。
 ちなみに構成とか言っちゃってるけど、決めたのは10%ぐらいであとはもちろんアドリブ。基本的に本当にフリースタイル。
 これが見事にハマってシングルアクロバット部門で優勝して、初のマスターズ部門へ。
 マスターズ部門では惜しくも2ポイント差で優勝を逃した。

 翌年、6度目の挑戦……会場の空気が違うのが分かった。マスターズ部門から出場だったのでシングルアクロバット部門を観戦していたら、「楽しみにしています」とか「ジュリーさんのパフォーマンス観にきました」と声をかけられて、背中から吹いてくる風みたいなのを感じたんだ。
 そして、結果は圧倒的なポイント差をつけての優勝だった。
 本当に嬉しかった。

 最初は誰かの真似をするのが一般的だし正攻法だと思うんだけど、そこから自分のスタイルを見つけた瞬間の気持ち良さはなかなか良いもんだ。それが世界に通用するかは分からないけど、それでも自分のスタイルで挑むのはやはり楽しいし、それが認められた時の満足感はハンパない。
 ちなみにこの時に自分が見出したスタイルは『やりたいように好き勝手やる』というスタイルであり、それはただの生き方じゃないかという意見もある。

 しかしだ、その半年後には名誉ある世界最下位というどん底に叩き落とされるわけで、書くのを忘れていた気持ちも分かる。
 ただ、日本大会やエゾメンってコンテストでも思ったことなんだど、出来レースや忖度みたいなの世の中にはたくさんあるけど、クソダサい脚本家の書いた脚本ぐらいなら覆すことはできる。そういうのを覆す会場の空気とか雰囲気ってやつは本当にあると思うから。
 ただ、一流の脚本家が書いた脚本には黙って従うほかない。
 それもリアルな世の中だ。

 すっかりJAPAN PIZZA EXPOで優勝した時のことを書き忘れていたから、これは何転びの何起きに差し込んで良いか分からないから番外編にしてみたけど……ただ思うのはこの説明文も冒頭に書けということ。

 世界まであと何転び?

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