何も考えず生きてきた僕


人は考える葦である。とパスカルは言った。
考えが人間の偉大さつくるのである。

今まで何も考えずに生きてきた僕には生まれ持ったもの以外に誇れることなんてこれっぽっちもない。

今までの人生を振り返っても本気で何かについて考えたことなんて片手で数える程度しかない。

逆境に立たされても逃げ道を探し続け、思考停止状態になることがほとんどだった。

今まで何も考えずとも、いじられキャラとして周りにはいつも友達がいて、コピーアンドペーストで大学受験に合格、生まれ持った体格の良さだけでスポーツをし、顔の良さだけで女の子と付き合ってきた。

学生生活だったら何も考えずとも、幸せを感じながら生きることができたのだ。

だが、社会はそんな僕を甘やかしてはくれない。競争があり、付き合う人は選べず、能動的に動きながら、自分で考えることが求められる。
今までの人生で考えることが身についていない僕にとってこれほど苦しいことはないだろう。

自分自身は弱気で、要領も悪く、すぐ逃げ道を探し、ピンチになれば思考停止に陥る。
恵まれた環境への甘えが今の僕を作ったのか、たまたま運が良く今まで上手く生きてこれたのかはわからないけど、今の現状には絶望していることは確かだ。

しかし、僕の若さで腐るにしてはこの先の人生は長すぎる。今から変わっていきたい。変わらなければ、これからの人生を楽しむことが出来ないし、これ以上自分を嫌いにはなりたくない。

こんな僕にも多少なりとも深く考えた経験がある。思い返すと頭を使っていた時期は、頭がスッキリしていて、楽しいことがどんどん思い付くし、トークも弾み、どんなときよりも前向きに生きていたと思う。

僕と自然に考えて生きてきた人とは大きな差があると思うけど、考えることについて真剣に向き合っていることがチャンスだと捉えて諦めずに頑張っていこうと思う。

趣味の筋トレが習慣は人を変えると教えてくれたので、考えることも習慣化することで変わっていくと仮定をして前向きに頑張って行こうと思う。

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