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これが未来電波基地の歴史

未来電波基地は鬱木ゆうとのソロプロジェクト。ベースとドラムは打ち込み。声を変えているのは地声で歌うのが恥ずかしいから。

VOCALOIDやネットレーベルが台頭していた2010年代、多分に漏れずボカロ曲を作っていた鬱木ゆうとは様々なサブカルバンドに触れて「下手でも歌っていい」ことに気づき自分で歌いだす。
当時大学を休学中で、心療内科に通いつつダウナーな日々を送っていたが、DTMをしているときは夢中になれた。
「未来電波基地」という名前もこの時期に考案した。

2011

抗不安剤「リリフター」と眠剤「フルニトラゼパム」を飲みながら生活する日々。「Fuck you Nakamura , I hate you」という曲ができる。好きな映像をコラージュしてMVを作りYouTubeに投稿した。

続けて「心療内科」という曲を作った。

この時の曲をまとめて「地下鉄サリン・イノセンス」というアルバムにしてリリースした。

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地下鉄サリン事件に関心があり調べていた時期だったので、タイトルにその影響が出たのであった。

2012

やっぱりアルバムタイトルが不謹慎だったなと反省したのと、収録曲の再mixをしたかったので「船橋INCIDENT」と改題してリリースした。

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ちなみにジャケットの電波塔は船橋ではなく「佐倉市」。

心療内科では「エチカーム」を処方されるようになった。ベンゾジアゼピン系の抗不安剤で多幸感が強く、これを大量に飲んで就活の説明会に行ったりしていた。「エチカーム」という曲も作った。

繊細だから「sensitive」という曲を作った。

この時の曲をまとめて「717」というアルバムをリリースした。

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30秒の曲だけで構成されたコンピレーションアルバムに参加した。未来電波基地は「ah ah」という曲を提供。

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続けて雑なトラックをまとめて「晴天落葉」というミニアルバムをリリースした。

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のちに微妙すぎたのでこのアルバムは非公開になる。

鬱木ゆうとは会社の内定が決まりインターン生として働く日々。船橋から墨田区に引っ越す。未来電波基地の拠点が浅草になる。

年末、知人に新宿のBARへ連れて行ってもらう。そこで知り合ったお姉さんに「インターンで会社に行くなんて人生損してる。どうせ内定もらっているのに今働いてどうするの?海外へ行けば価値観も変わって人生にとってプラスなのよ」など言われ留学を即決。留学先をロンドンに決める。

2013

1か月ロンドンへ行く。

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人生最高の1か月になった。その想いを込めたアルバム「TURNOVER」を作りリリースした。

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のちに歌詞が恥ずかしくなりこのアルバムは非公開になる。

@liang_dungai さんがイラストを描いてくれる。しばらくオフィシャルなアー写として採用する。

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tumblrで創作記事を書き始める。"近所の老人"を騙り架空の戦時中の思い出を綴ったり、奇妙な文章を書いていた。この時のtumblrの記事は鬱木の思い出のような内容でも全て創作だった。

架空の老人の存在を裏付けるために「小林文具店」という架空の文房具屋のページも作った。

2014

「サブカル」という曲を作りPV撮影のためにモノレールに乗った。

そんな曲も収録したアルバム「EX-FRIENDS」を公開。

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のちに好みの問題でアルバムジャケットを変更。

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未来電波基地を名乗る前から作りためていたボカロ曲をまとめて「ボーカロイドワークス」として公開。

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ニコ生で自宅ライブをやりだす。

2015

コンピレーションアルバム「Before the dawn」に参加。未来電波基地は「FOREVER21 」を提供した。

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サブカルイベントにお誘いをいただき初ライブをする(一人で)。この時はPCでバックトラックを流し、ギターとボーカルを演奏するという手法を用いた。

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これをきっかけにサポートメンバーを加えてバンドでライブをするという構想がでてきた。このイベント関係者の協力を経て自主企画のライブが開催決定になる。

それに先立ってアルバム「Bible」を公開した。ジャケットは自宅マンションのエレベーター。暗闇に光る「7」は7階に住んでいるから。

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自主企画「未来電波基地Night」を開催した。共演者は鬱木が好みで選んだ人たち。NYAIにオファーしたら快く福岡から来てくれた。

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Liberal & Crippleにもオファーしたが対バンは実現できなかった。その代わりに未来電波基地のトラックに曲と歌詞を載せて「Kids Return」という曲を作ってプレゼントしてくれた。

またこの年からフィルムカメラで写真を撮るようになった。

「未来電波基地Night」の模様。

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もともと写真を撮るのは好きだった。ガラケーの時代から違った雰囲気の写真を撮ろうとして、レンズにフィルターを貼って試行錯誤するなどしていた。その時の作品をまとめたtumblrが「鬱木クリエイティブ」。

フィルムの楽しさに目覚めた。特に人が撮りたかったので、この頃から被写体を募集し始める。が、被写体を快くやってくれる人は一向に現れない。

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コンピレーションアルバム「Art-Students」に「善意と欲望」で参加した。

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2016

「ソビエトに寄せて」という曲を作ったりする。

そんな曲を収録したアルバム「815」を公開した。

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ロシアのSNS「VK」で未来電波基地が拡散される。このあたりからロシアのリスナーが増え始める。

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調子に乗ってVKに未来電波基地コミュニティを自分で立ち上げる。ファンと交流する。

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創作記事「鬱木ゆうと自殺ほう助事件」をtumblrに投稿する。

スマホケースを作ってみたりする。

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2017

きいろれこーずからライブのお誘いをいただき出演する(一人で)。バックトラックを流しギターボーカルを演奏するという方法でライブをする。

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@liang_dungai さんがまたイラストを描いてくれる。bandcampのヘッダーに使用したりする。

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2018

アルバム「Therapy」をリリースした。名盤を作る!という意気込みでやりきった。当初は20曲入りにしてカセットテープにして売るプランもあった。

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英語が好きすぎて「TOEIC860」を取得。

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漫画家あららぎ菜名先生の取材に協力して単行本「抑死者」のスペシャルサンクスに名前を書いてもらう。

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2019

メンタルクリニックで「コンサータ」を処方され始める。
メンタル不調で仕事を休職する。

高知に行って桂浜で黄昏たりする。

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そんな想いも込めたミニアルバム「4300」を公開。

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時間があったのでもう一枚ミニアルバム「MRIDMP」を公開。

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自分のメンタルと向き合いすぎて「メンタルケア心理士」の資格を取得。

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2020

リスナーが未来電波基地Tシャツを作ってくれたりする。

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ミニアルバム「Positive Era」を公開。過去に作った未発表やアルバム未収録をまとめたミニアルバムだった。

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この時にはサブスクがだいぶ浸透していたので、アルバムの無料公開をやめた。無料で聴きたい人はサブスクに入ってもらって、データのダウンロードは購入形式という考え方。値段付けにかなり悩んでいたが、Unknown Mortal Orchestraが$10以下にしていたのを参考に値段を決めた。

コロナ禍でリモートワークがデフォルトになったことで、仕事の休憩中に創作ができるようになった。

その勢いで「Persona」をリリースした。

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ジャケットに企業名が入っていたのでサブスクの審査通らず。アプリで雑に加工した。

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またこの年から多くのリスナーが被写体として撮影に協力してくれるようになった。

2021

現在新しいアルバムを製作中。たまにスタジオに入ってバンドとしてライブをする可能性を模索中。

仕事は楽しい。向き合い方を変えたから。薬は飲み続けている。

未来電波基地は鬱木ゆうとのソロプロジェクト。ベースとドラムは打ち込み。声を変えてるのは地声で歌うのが恥ずかしいから。


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