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【パパママ聞いて】メンタルが安定する子としない子の違い

こんにちは!べいぶです!

これまで1000人以上の中高生と関わってきた10年目の教員です!

今回はパパママ向けに、メンタルが安定する子としない子の違いについて、教員の視点からお話をしていきたいと思います。

少しでも参考になれば幸いです。


さて、親であるみなさんは、当然自分の子供のメンタルが安定していてほしいと思っていますよね。私はこれまで多くの保護者とも関わってきましたが、メンタルが安定する子としない子では親の思考が大きく異なると強く感じています。

そうです。親の思考が子供の思考に大きく影響しているのです。

教員をしていると、集団に向けていろいろな話をすることがあります。時には全体に向けて注意や叱責をすることもあります。当然ですが、生徒によって反応は違います。

「なるほど」「たしかにそうだよな…」と反省する生徒もいれば、「だってそれは〇〇だからじゃん」「そんなこと言われても〇〇なんだからしょうがないじゃん」と開き直ったり文句を言ったりする生徒もいます。

生徒の言うこともわかることもあるし、そういう不満を感じることがあることも承知の上で指導することもときにはあります。

しかし……

というのが今回のお話です。


結論:メンタルが安定する子の家庭は自責思考、安定しない子の家庭は他責思考

これまでにいろんな家庭を見てきましたが、大きく分けて3つの家庭の例を紹介していきます。

家庭A:基本的に「他責思考」、自分の子供は悪くない
家庭B:正論を通し、親が的確に判断しようとする
家庭C:基本的に「自責思考」、自分の子供に1%でも非があるなら子供の責任

結論から言って、Cの家庭の子供は本当にメンタルが安定しています。

反対にAの家庭の子供はメンタルが崩れやすく、鬱になる傾向があります。

Bの家庭の子供は一般的で、ほとんどの子どもがBの家庭に属すると思います。

これまで1000人以上の生徒と関わってきて、割合としては2:7:1くらいの感覚に思います。以前と違って、ここ数年、他責思考の人が増えてきているような印象が強くなってきています。

インターネット上で匿名で誹謗中傷するような人もいるし、政治家の様子なども見ていると、他者を責める傾向がここ数年強まってきているからなのかなと感じています。

いずれにしても、自責思考傾向の人の方がメンタルが安定すると強く感じます。


自責思考でメンタルが安定する理由

自責思考でメンタルが安定する理由:変えられるのは自分、他人は変えられないから

世の中にはいろいろなことが組み合わさって起きることが多いです。

問題 = 他人の過失 + 自分の過失  だとします。

問題①:他人の過失100 + 自分の過失    0 = 100
問題②:他人の過失  80 + 自分の過失  20 = 100
問題③:他人の過失  20 + 自分の過失  80 = 100
問題④:他人の過失    0 + 自分の過失100 = 100
問題⑤:他人の過失  90 + 自分の過失  20 = 110
問題⑥:他人の過失  80 + 自分の過失  10 =   90

100以上で問題が発生してしまう、100未満なら未然に防げるとします。

①~⑤は問題が起きてしまっています。
⑥は問題が未然に防げました。

ここで大切なのが、相手がどうこうではなく、自分に非があるのかに集中することです。

よく見てみてください。

①~⑤の問題のうち、①以外は自分次第で未然に防げたものです。自分が気を付けて自分の過失を無くせば問題は起きなかったのです。

それにも関わらず、世の中には、「相手と比べたら自分の方が悪くない!」などと自分を正当化する人が多いのです。

そうではありません。

自分に非があったかなかったか」の話です。

相手と比べて自分は悪くない、などの比較思考をしているうちは、メンタルは安定しません。

⑥の場合も、問題が未然に防げてよかったからよし、ではなく、自分の過失がないように反省するのです。このような自責思考のできる生徒は問題が極めて少ないです。


具体例で考えてみます。

例①:大切な試験
今日は大切な試験の日、このバスに乗ればギリギリ大丈夫な時間のバスに乗りました。すごく余裕があるわけではないけど、まったく余裕がないわけではない時間のバスです。バスを待っている間、試験の最終確認をします。………、バスが来ない!バスが遅れている!一応時間には間に合うことはできたけど、精神的な余裕がまったくないまま試験を受けることになってしまいました。

よくあるケースです。(私にもよくあることなのでいつも反省しています)


先ほどの3つの家庭ではどのように対応するでしょうか。きっとこうです。

家庭A:「どのバス会社だ⁉」「だから公共交通機関は信用できないんだ」「次は車で行くぞ」

家庭B:「それは運が悪かったね」「今度は1本前のバスに乗らないとだね」

家庭C:「そんなギリギリに家を出たお前が悪い」「間に合っただけ感謝するんだな」

家庭Bのような対応をする親がほとんど、Aのような対応をする親が増えてきて、Cのような対応をする親は稀でしょう。(あくまで私の感覚値であって、もしアンケートを取れば異なるかもしれません)

この例①では、遅刻して試験が受けられない!という問題は防げてはいるものの、大切な試験の日なのに余裕をもって家を出なかった自分にも非があるのは明白です。

大切な試験なのだから、余裕に余裕を重ねて家を出れば何の問題もなかったのです。


もう一つ、具体例を。

例②:交通事故
自転車で走行中、交差点に差し掛かりました。信号は青、問題なく普通に直進しようとしました。しかし、同じ方向を走行中だった車が突然左折してきました。自転車と車は接触。幸い軽傷で済みました。

これはよくある事故のケースとして警察などから注意喚起がなされています。このケースでは、車が交差点に差し掛かる前にしっかりと状況を確認していなかったということで、おそらく車側が100%悪いということになるのが一般的かと思います。


例の3つの家庭ではどのように対応するでしょうか。きっとこうです。

家庭A:「本当にあり得ない!」「これで死んでしまったらどうするんだ!」「しっかりとした対応をしないのなら絶対許さない!」

家庭B:「それは危なかったね!」「自転車も壊れちゃったし修理代は払ってもらわないと」「こういうこともあるから次は予測して未然に防がないとだね」

家庭C:「そういう車もいるのにすぐ止まれる用意をしてなかったお前が悪い」

こちらも、家庭Bのような対応をする親がほとんどだと思います。命にかかわることだし、万が一のことを考えたらAのような対応をする親が増えてくるのも十分わかります。反対に、Cのような対応をする親は非常に少ないでしょう。(こちらも私の感覚値で、アンケートでも取れば異なる結果が出るかもしれません)

この例②では、一般的、社会的には車の運転手が100%悪いのでしょう。

しかしここでは、一般的、社会的の話をしているのではありません。相手と比べて自分が悪いかどうかも話の対象にはしていません。

あくまで「自分」にフォーカスしています。

Cの家庭のように、自転車が予測していつでも止まれる用意をしておけば事故にはならなかったのです。


「いやいや、相手(車)がちゃんと注意して運転していれば起きなかったでしょ!怒」


そう考える方、わかります。

私も自分の子供だったら、大切な人だったら…、そう考えると、どうしても相手を責めたくなってしまうかもしれません。


しかし、相手を責めたところで状況は変わりません。相手が故意に起こした事故とかなら話は変わってくるかもしれませんが、世の中には正論が通じない人、話が通じない人など様々な人がいます。

そういう人たちに労力を割いて変えようとするよりも、自分が変わろうとした方がよっぽど早いし労力もかかりません。しかも次に自分が気を付ければ同じようなことは防げるし、事故に巻き込まれる確率もグッと下がります。

変えられないものにフォーカスせず、変えられるものにフォーカスする。
他人を変えようとするよりも自分を変える
他人を責めるのではなく自分の落ち度を探す。(自責思考)

これが自責思考で安定したメンタルを手に入れられる理由です。


最後に

私自身、多くの家庭を見てきましたが、鬱の傾向がある生徒、叱られたときに必要以上に落ち込んでしまう生徒、不登校傾向のある生徒の家庭ほど、問題が起きたときに他人の責任を追及しようとします。

しかし、他人の責任を追及したところで自分の問題解決能力に変化はありません。今後同じような問題が起きたとき、自力で解決できない人間になってしまいます。

他人がどうこうではなく、自分が改められるところはないか、常に自分に焦点を当ててみてください。想像以上に物事がうまく回り始めるはずです。

この記事があなたの子育てに少しでも参考になれば幸いです。

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