見出し画像

2024/1/21父親の葬儀

血液透析を15年間受けていた父親の死
1/16 18:39 整骨院で治療中親父から来た。『もしもしなに〜』って出たら親父の今嫁で『〇〇くん?パパが亡くなっちゃったの。死んでも誰にも言わず病院から火葬場に直接行って焼いてくれって言われてたんだけどどうかなと思って連絡しました。16:00過ぎに担当医から合わせたい人呼んでくださいって言われたんだけどそれから1時間くらいで亡くなっちゃって今までバタバタしてちょっと連絡が遅くなっちゃいました。』と。『死亡時刻
は17:05分』との事でした。『お通夜、告別式はやらないんだけど安置所に安置して火葬場に出棺する前にお別れ会をするからね。』と。『火葬場の空き日に火葬をする事になったんだけど。もう夜だから火葬の日は明日の10:00から葬儀屋さんと打ち合わせだから連絡するね。』って電話が終わった。一応弟に確認したら行くと。兄貴は行かないと。兄貴は離婚したことを恨んでるらしい。(母親談)
次の日午前中に今嫁から電話が来た。『火葬場がいっぱいで早くて土曜日か日曜日なんだけど、どっちが良い?』。弟が土曜日はどうしても外せない仕事の打ち合わせがあるから『日曜日でお願いします。』『時間は9:00か15:00なんだけど』と。俺と弟は千葉から沼津だから時間の余裕を見て15:00からの火葬でお願いした。行こうと思ったのは親父が病院から直接火葬場ってのが遺言だったらしいから嫁と腹違いの弟と俺と弟くらいかなと思ってたから人数少なすぎだろと思って参列に至った。安置所に14:00集合だったから、首都高、東名が渋滞したら最悪だから余裕を持って8:30に出発。東関道、首都高、東名は全く渋滞もなく2時間掛からず到着。安置所に行くにも早すぎるから親父が経営していたスナックに向かう。スナックの3階に親父達の家もある。今嫁に電話してスナックの鍵を開けてもらい休憩。その後店に今嫁が降りてきてたわいもない話。親父の沼津での生活の一部を教えてくれた。だがこの辺りから俺の心はメラメラし始めてきた。話しを聞いていく中でいろいろ点だった物が線になった。今嫁は元々親父の浮気相手だ。元嫁は『離婚する前から君たちの事心配してたんだよ〜』って。『親父と結婚してるけどお前は赤の他人や!』とイライラが蓄えられてきた。その後、23歳離れてる腹違いの弟と20年ぶりに再開。うちの3兄弟とはかけ離れた顔立ち。まぁ血は半分繋がってるけどそんなもんかと納得。腹違いの弟とちょっと話したところで安置所に出発。2年半前に親父のところに来たときはワゴンRを中古で買ったばっかりだった筈なのにワゴンRは駐車場に止まっていたんだけど今嫁がベンツのBクラス乗って出発。金ない金ないって言いながらどこにそんな金あったのか弟と二人で頭に『???』マーク。その後痛い安置所について車止めて中に入ったら30人くらい人がいた。そんな中28年ぶりに従兄弟にあった。全然変わって無かった。もう今年で50歳。親父の兄貴(長男と次男)2人と次男の奥さんも来ていた。親父の兄貴にはちょこちょこ会ってたんだ。って言っても、長男と会うのは6年ぶり次男と会うのは3年ぶり。おばあちゃんが亡くなった時に遺産でもめて長男と次男は疎遠になってしまったそう。その原因を作ったのが末っ子三男坊の親父だった。聞いて呆れた。親父の兄貴達には申し訳なさしか無かった。長男と次男は親父が嘘ばかりおばあちゃんに言ってたのはわかっていた。おばあちゃんは離婚したのはうちの母ちゃんが全部悪いと思ったまま5年前位に亡くなった。長男と次男は今嫁とは親父のせいで疎遠だから安置所にみんな集まっても会話がなかった。もっと気を配れ!今嫁!今回葬儀に行ってわかった事は。親父は親父で沼津にコミュニティーを作っていた。沼津にいる人たちは親父の本性はわかっていない。なぜシティーボーイだった親父が沼津に逃げたか。答えは簡単。東京にいたら全部嘘が捲れるから。親父は離婚してから毎月最低30万をおばあちゃんにもらってたんだって。離婚した頃は沼津で土建屋とか市場とかで働いていたみたいけど金銭の状態はわからない。。離婚した時に弟は中3だった。慰謝料と弟が20歳になるまで毎月10万仕送りする約束になってたが。早々に5万になり3万になり最後は0円。ちなみにこの頃は再婚もして子供も腹の中に居たみたい。俺たちは再婚したのも知らなかったし。腹違いの弟が出来たの生まれてから3年以上経ってからです。知ったのも従兄弟から連絡があって『再婚して子供連れてきてるよ。』と。金入れなくなったのもその時期です。点と点が線になりました。もう再婚した頃にはスナックを始めててその資金(保証料、内装、酒代グラス、サラ、その他備品もろもろ)もおばあちゃんが出して始めた店。こんな事が死ぬ前にわかってたらぶん殴ってたな。ちなみに死因としてはコロナ禍時期に店を開けられなくて飲めない酒を飲み始めてアル中になり、ご飯食べずに酒ばっかりで体力無くなって死んだんじゃ無いかな。最後に会った2年半前にはもうアル中だった。今回1/5に入院したらいいけど、今嫁が『亡くなるの11日間ご飯食べれなった』って言ってた。人間食べないと死ぬんだな。去年の11月の写真見たけどまだぷっくりしてたけど棺に入ってる親父は干からびたミイラみたいだった。
クズな親父ってのはわかってたけど、そうぞ以上のクズでした。葬儀でこんなに1ミリも悲しくなかったのは初めてです。てかこれ以降も無いでしょう。
悲しさ寂しさは無いけど、怒りしかない葬儀でした。
只唯一親戚(腹違いの弟、従兄弟、親父の兄貴2人奥さん)に会えた事は良かった。今嫁側の親戚とはもう会うことは無いだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?