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【充実感はあるけど】

充実という言葉や概念が日常的に飛び交う様になったのはいつからかはよく覚えていない。身近な人との会話の中でも聞くし、文面でも至る所に散らばっている。近年ではとにかく充実している事が重要視されていて、充実度が1つの指標ともなっている様に感じる。

充実とはひとつの事に没頭するというよりは、色んな事をやっているというニュアンスを個人的には受けるし、他者との関わりも含まれていると思う。なので仕事一筋というのはそういう意味ではとっくに時代遅れで、1人でぼーっとしている事も勿論充実している事にはならない。そう言った余白がない事や、限られた時間でより多くの事をこなして生産性のある時間を過ごしている事を充実していると言うのだろう。

では充実しているとはどう言った状態や生活の事を指すのだろうか?仕事もして、異性と恋愛やセックスもして、趣味があって、時々美味い物を食べて旅行すれば充実しているのか?夢や目標に向かっていて、やりたい事が出来ている事なのか?次から次へと予定があり、ひっきりなしに人と会い動き回る事なのか?派手でキラキラした生活をSNSに投稿して多くの人の注目を集めるインフルエンサーなのか?最低限生活出来る収入を得て、それ以外は仲間と楽しく遊ぶ事が出来ればそれで充実なのか?

SNSは自分の充実度をお互いに見せびらかし合う為の最たる場だ。自分で自分の写真や動画を撮り、それを不特定多数の人達が閲覧出来る場所に貼り付けるなんて30年前なら余程の変態しかやらない事だと認識されていた筈だ。素敵な友達や家族と美味しい料理を食べたり、仕事の成果を出した事や、趣味を楽しんだりしている他人の投稿が否応なしにSNS上では目に入るが、自分には素敵な友達や家族もいないし、美味しい料理も食べてないし、仕事も思う様に行っておらず、趣味などを持つ時間と金銭的な余裕がない人がそれらの投稿を見ると鬱になると、アメリカのどこかの記事で読んだ事がある。



高度経済成長が終わって国が成熟し、近代化を遂げ、世間や国家などのあらゆる共同体が消滅し、多様化して、個人主義社会となった。もう敗戦後を生きた人達の様に、焼け野原と貧しさから脱却する為に全員が社会の近代化という1つの目標に向かってガムシャラに頑張る時代は終わり、誰がどの様に生きても構わなくなったが、殆どの人がその後どうしていいのか分からないのではないかと、側から見ていて思う事がよくある。

今が大天職時代と言われる様に、会社を辞める事は何ら珍しくなくなり、離婚は増えてシングルマザーは沢山いるし、国は当てにならなくて貰える年金がこれから更にに減りそうで老後が不安だから積み立てNISAをやる人も増えている様だ。高度経済成長を経て近代化を成し遂げ豊かになった筈なのに、困っている人は多い。

いくら資本主義や民主主義になってシステムは変わっても、結局極一部の上手く利用する人間とその他大勢の利用される人間という社会的構造は大昔と変わっていない。中国バブルが弾け、企業が続々と中国から撤退しているが、まだ物価が安い他の東南アジアの国に移るだけで、地元住民を安い賃金でこき使う奴隷の様な扱いを続ける事に変わりはない。資本主義という呼び方は上手く利用する側の人間の、自分達を守る為の都合の良い言い訳に過ぎない。



近代化という社会全体の目標の喪失によって、これほど充実という言葉があちこちで嘆かれる様になったのかは分からない。あらゆる決断が集団や組織や共同体から個人に委ねられる様になった上、ITの凄まじいスピードの進化による生活の変化も加わり、上手く波に乗れている極小数の人と、その他大勢の取り残されて置き去りになっている人との二極化はより一層顕著になるばかりだ。そんな中で、昨今充実ばかり求める人を見ると、無意識的に現実逃避しているというか、忙しくする事で奥底にある不安や不確実性への恐怖や孤独を敢えて忘れようとしている様に僕には見えてしまう。1人でぼーっとしているとまるでそれらに押し潰されそうになるからかもしれない。しかしそういう人は至ってまともなのであって、今そう言った不安や孤独がまったくないのはただのバカだけだ。

幼少の頃からもう随分長い事武道をやっているが、その昔僕の師匠が「充実感はあるけど、それが必ずしも理に叶っているとは限らない。」っと常々仰っていた。汗水垂らしながら力一杯に身体中を力ませて技をかけた方が確かに充実感や達成感は感じられるかもしれない。力任せに一生懸命ガムシャラにやる事はある意味エゴにもなるし、その方が見返りが大きいと誤解している場合も少なくない。しかし、それは理に叶った動きで制したのではなくただ力で相手をねじ伏せただけであって、単にやった(出来た)気になっているに過ぎず、武道において技とは呼べない。そして何より、自分より力が強い相手には当然通用しない。充実感ばかり求めていると、知らない間に真理や本質から外れていってしまうという事だ。


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