21歳、初めての長期アルバイトとED

「アルバイトの面接に落ちるなんて、何をしたらそうなるんだ?」とよく言われる。10件以上連続でアルバイトに落ちた事がある僕には耳に染みる言葉だ。
年末年始のアルバイトには受かったが、なかなか長期のアルバイトは難しかった。
そんな中、やっと受かったのは警備員の長期アルバイト。稼いだお金で欲しいもの買っちゃうぞ〜!とワクワクしたのは一瞬だった。

ブラックな労働環境とミスマッチ

警備員の仕事には研修が義務付けられている。ありがたい研修の場では、先輩社員から「ウチは業界ナンバーワンなんですよ!」と元気な声で説明されたが、面接の時に言われた「ウチは厳しいからね、募集日給から500円引いた日給でやらせてもらうよ」と大きく矛盾してたが、ここは大学のゆるい講義室ではなかったので、社会性を発揮して沈黙を貫いた。
ここで感じた不安はほんの始まりに過ぎなかった。

勤務先は毎週のように変化した。そのお知らせは前日までにメールでお知らせされる。場所は毎回遠く、片道1時間半で到着できれば近い方という有様だった。中には近所のバスの始発で向かうと遅刻確定するような場所で、雨の日も自転車を漕ぎながら最寄り駅まで向かった。しかも交通費は支給された給料から支払う。日給7500円なのに交通費だけで往復1500円かかることもザラだった。

警備員という仕事は道路整備なら運転手と通行人、店内整備ならお客に見られる仕事だ。そしてスムーズに交通整備を行い、事故を防ぐ為に指示をする。だからこそ常に張り詰めた緊張感が必要だったが、とにかく色んな物に興味を持ってしまい、注意がいつも散漫な僕には全く向いていなかった。
仕事柄、ガテン系と言われるような気質の人が多く、叱る時かなりキツイ言葉だったり、高圧的な物言いをする人もいた。

キツイ長期アルバイトとはいえ、お金もちょっとは入るし、僕が耐えれば良いんだ、と思いながら続けていたが、僕の身体は正直だった。

ストレスと身体異常

話が変わるが、学生時代の僕はオナニーをする方だった。エロ漫画が好きということもあり、週20回はやっていた。正確な基準は分からないが平均よりも性欲に満ちていた。

そんな僕が警備員を始めた途端、オナニーの回数は週7回に激減した。疲れた体を引きずるように、ほぼ義務感でオナニーしていた。
何故かというと、6時から家を出て帰宅できるのは21時。しかも制服は1着しか支給されないので、毎日自分で洗う必要がある。土日だけとはいえ身体的にも精神的にもかなりキツかった。

そしてある時、身体の変調に気がつく。
勃たない。
海綿体に流し込まれる血液が、通行止めされたかのように届かない。
触れても触れても、五感の触覚以上の感覚が得られない。
僕の頭によぎったのはED(勃起不全)という単語だった。

40代の不健康なおっさんなら分かるが、僕は当時ピチピチの21歳。
これから大活躍を期待された身体部位が機能不全に陥ったのだ。
3大欲求の1/3が大ダメージが蓄積されていた事実を知る。

そして僕は警備員のアルバイトを半年で辞めた。得られる金よりストレスが大きかったからだ。

仕事のストレスとEDで自信を失い、最終的に週1回になった。

リハビリと通行解除

EDを抱えたままとはいえ、性欲はあるのでエロ漫画は読み漁っていた。ホムンクルス先生、DISTANCE先生、Hisasi先生、ReDrop先生はよく読んでいた。性的な興奮を回数が減れば性欲も落ちやすいと感覚的に分かったので、リハビリの意味を込めながら読んでいた。

また、ストレスが原因だったのでそれも積極的に避けた。不眠によるストレスを避けたかったので、大学の講義を調節して、昼休み後の講義を1つ明けてその間は長い昼寝をした。おかげで大学のどのベンチが寝心地がいいか把握できた。どのベンチだと教員に怒られずに済むかも経験則で分かった。

そして就職し、まとまったお金で欲しいものを買ったりして、自分なりに遊んで徐々に元気を取り戻してきた。海綿体への血液の通行止めは解除され、硬度が変わる身体部位が復活した。

勃起不全が僕にプレゼントしたこと

私は勃起不全を通して、自分が不幸な目にあっても、諦めない心と再び立ち上がる有志が大事というという教訓を得ました。


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